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  • 身延山より戻りました

    CIMG0712 11月26日 235名僧侶(声明師)出仕の元「日蓮宗声明師連合会20周年記念法要」が、荘厳なる久遠寺大本堂にて厳修されました。
    「法華懺法」この法要は、法華経読誦の功徳を以て、一切衆生の諸々の罪障を懺悔滅罪する法会で、御本尊法楽と身心の浄化を念じます。1時間半に及ぶ法要は声明と礼拝の連続でした。法要終了後は、達成感と言うより、脱力感を感じましたが、翌日、自坊での朝勤時になんとも言えない爽快感を感じました。やはり、これは身心の浄化に繋がったものではないか?と感じた次第です。

    Filed under: 年中行事 — hoshu 9:11 AM  Comments (0)

    身延山へ

    明日の「日蓮宗声明師連合会結成20周年記念身延山法要」出仕の為、今日から身延山久遠寺に行ってきます。
    全国から235人の僧侶が集結しての大法要。
    今から楽しみです。

    Filed under: 年中行事 — hoshu 7:01 AM  Comments (0)

    半身浴

    ここ数日、急激に寒さが身にしみるようになって来ました。

    こんな時には、お風呂でゆっくり身体を温めて早く寝るにかぎる。と、思いながら熱めの温度に設定した湯に浸かるのですが、健康雑誌に書かれている記事を読みますと、熱い湯に浸かる事が心臓に悪いとか・・・確かに熱さという刺激が強い気がします。しかし、この時期ぬるめの湯に浸かるのもなんだか風呂に入った気がしないものです。そこで、最近、半身浴を試しています。心臓の下まで湯に浸かり、上半身は浴槽から出ています。浴槽のフタを半分閉じ、そこで本を読んだりして時間を過ごします。半身浴を始めて15分(人によって時間差あり)くらい経過すると額にうっすらと汗が出て来ます。私の場合、それと同時に急激に眠気を催して来ます。あと5分くらい眠い状態のまま半身浴を続け風呂から上がります。この時点でかなり眠く、身体が温まった状態で寝床へGO! ?朝までぐっすり。目覚めも壮快。効果有りの半身浴です。寺の風呂が老朽化していてすきま風が辛いのは我慢、我慢。

    Filed under: 日々のこと — hoshu 7:12 AM  Comments (0)

    お葬式って?VOL2

    前回投稿した「お葬式って?VOL1」の中で「家族葬」について触れました。葬儀社さんのアピールの甲斐あってか? ?「家族葬」という呼び名が定着しつつあります。

    しかし、どうしてこのような呼び方になったのでしよう? 葬儀は「葬送儀礼式」を略して葬儀と呼び、他に「葬式・葬儀式・お弔い」と一般的に呼ばれています。このような呼称があるにもかかわらず「家族葬」という呼称になったのか?

    1990年代、葬儀依頼の中で「密葬」でお願いします。という事がありました。寺側としては「密葬」を行うなら「本葬」は、何時行うのだろう。と考えます。で、「密葬」と呼ばれた葬儀に行ってみると親族のみの少人数で会葬者もいませんでした。前回の記事でも書きましたが、当時はバブル時代。誰しも大きな葬儀を行っていました。しかし、誰でも大きな葬儀を出せる訳ではありません。そんな中、経済的に大きな葬儀を出せず少人数の場合、葬儀社が喪主に対し「密葬」という言葉を誤って使ってしまったからだと思います。

    「密葬」は、故人が生前に交際範囲が広く、とても一日や二日では知人・友人に連絡が出来なかったり、参列者を収容出来なかったりする場合には、ある程度の準備期間が必要となります。また、様々な事情で喪主や遺族が間に合わないなど葬儀まで時間を必要とする場合に、家族だけで葬儀を行う事を「密葬」と呼びます。こういう事情から「密葬」には他人は同席しません。その後、遺骨になった状態で「本葬」を行うという事になります。もし、後に本葬が行われなかった場合は、お互いに失礼になってしまいます。

    昨今、葬儀社側も葬祭ディレクターという資格を設けた関係か、寺院側から指摘があったのかはわかりませんが、「密葬」という言葉は使われなくなり、家族、親族だけの葬儀を、葬儀社側が「家族葬」と命名したのではないかと思われます。本来、葬儀の大小にかかわらず死者を送る儀式は「葬送儀礼式=葬儀」で良いのではないかと思います。

    Filed under: 葬儀って? — hoshu 7:10 AM  Comments (0)

    月例「施餓鬼会法要」

    昨日、沢山の壇信徒の皆様と共に、月例「施餓鬼会法要」を本堂で厳修致しました。

    「施餓鬼会法要」とは、餓鬼に施しをして、自らの寿命を伸ばすために行う法要です。そのいわれは、お釈迦様の弟子に阿難尊者がいました。ある時、阿難の前に口から火を吐いている餓鬼があらわれ「お前の寿命はあと三日、死んだら餓鬼になる。もし助かりたければ、沢山の餓鬼やバラモン、仙人に一人一石ずつ食べ物を施せ」と言いました。阿南は困ってしまい、お釈迦様におすがりすると「この言葉を唱えて施こしをすると七石ずつの食べ物を施すことになる」と呪文を教えられました。その教えによって阿難は、その後50余年の寿命を授かり、お釈迦様にお仕えすることができたと伝えられています。この説話に基づいて「施餓鬼会法要」が行われるようになりました。

    我々が生きて行く為には、 米・野菜・魚・肉等の他の生命を食べて生きています。その分、我々は立派に生きなければ頂いた命を無駄死にさせた事になります。世の中に存在する生命を大切に想い、供養する事で、自分の生命が生きるという事です。「施す心は自分を養うこころ」毎月第一日曜日午前11時より本堂にて皆様と共に施餓鬼会を開催しております。壇信徒以外の方もお参りして頂けます。

    Filed under: 年中行事 — hoshu 7:17 AM  Comments (0)