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高槻氷室の地で四百年の歴史を刻む
傾聴僧が傾聴活動を通じて苦しみを和らげ、軽くし、無くする。あなたのお話を聴かせてください。

広宣寺について

本山 身延山 久遠寺。
日蓮宗の寺。
慶長八年(1603年) 開祖 京都本山本法寺中興 功徳院日通上人が、母 妙尊尼の菩提を弔う為に北摂氷室の地に建立。
しかし、元治元年(1864年)近辺の溜池決壊により本堂が流出。本尊、宝物全てを失う。
その後、明治三十八年(1905年)旧地より安全な場所に移転。現在に至る。

広宣寺では境内地より徒歩5分のところに広宣寺墓地があります。
広宣寺墓地は平坦な住宅地に囲まれた一角にあり、従来からある「寂しい、暗い、山間にありお年寄りが一人で行くには距離がある」墓地のイメージとは違い、セキュリティ完備、平坦地にあり周りに民家が多数あることで安心してお年寄り一人でもお墓参りができる都市型墓地です。

住職からのご挨拶

私は、超宗派で構成されている傾聴僧の会に所属している傾聴僧のひとりです。傾聴僧とは、聴くことだけをする僧侶のことです。なぜ、聴くことだけなのか? それは、聴くことはそれだけで援助になるからです。

世間では、仏教界で今まで当たり前とされていた仏事が崩壊し始めています。 なぜなら、高度成長期に於ける核家族化に端を発し、今から10数年前に葬儀不要論なる考えから葬儀のあり方が問われるようになりました。

その頃から家族葬や直葬と呼ばれる葬儀が出現し、今までのように故人に関係した人達が故人に弔意を現すことがなくりました。更に、墓じまいと呼ばれる先祖代々の墓を無くしてしまう動きが加速しています。

私は、今の流れは世間に於ける僧侶の存在意味が薄れてきていることが原因ではないかと考えます。

今一度、僧侶の存在意味を明らかにする為に、当山では家族、親族、親しい人達が亡くなる悲嘆の苦しみが渦巻く、葬儀の現場に身を投じて行くことと考え、援助的葬儀である寺葬儀式を行なっています。

住職の写真

長谷川 鳳秀

  • 昭和50年得度
  • 昭和57年第二期信行道場修了
  • 昭和59年立正大学仏教学部宗学科卒業
  • 昭和59年遠壽院大荒行堂第初行成満
  • 昭和61年日蓮宗声明師任証
  • 昭和61年遠壽院大荒行堂第再行成満
  • 平成 7年遠壽院大荒行堂第三行成満

1961年生まれ 広宣寺第28世

遺葬という葬儀・供養のカタチ

広宣寺が提案する終活

「遺葬」とは、貴方が遺族(家族)に対して、葬儀から供養を継続して行ってもらうための葬儀から7回忌までを、当山が遺族(家族)と共に勤めることです。

昨今、世間では「終活」が氾濫しています。その殆どは、葬儀社等が関与した葬儀の事前見積りだったり、石材店の墓地、合祀墓、永代供養の案内です。果たしてそれが終活なのでしょうか?
先に逝くわたしが、霊山浄土へ赴くまでの道のりで家族からの供養(助け)が必要であるにも関わらず、その供養は家族によって営まれない(省略)現実。

「死後は所業に応じて行き先が決まるのです」。

仏説に従えば、識神(魂)は自由にどこかに行けるわけでもなく、神仏が死後の行く先を決めるのでもなく、その人の行った業(ごう)によって赴く先が自ずと決定されます。
赴く先が決定されていても、それを変えるには、逝くわたしの信仰(法華経)であり、死後家族からの供養(法華経)によって変わることでしょう。

「遺葬とは」
あなたの死後、遺族(家族)に住職と共に葬儀から七回忌までの供養を継続して営んでもらうための終活の集大成です。