臨終は臨命終時(りんみようじゆうじ)の略語で「命終の時に臨んで」とよみ、死期せまって命の終わるまぎわのこと。正念は邪念・妄念の対語で八正道(はつしようどう)の一つ。心が散乱動揺せずに安定し正しく仏を想念し続けることをいう。迷妄を断って正しいさとりの智慧を得ることが仏教徒普遍の願いだが、死期に臨んで心乱れて邪念を起すことなく、平常心を持続し仏道成就を正しく念じつつ死を迎えることをいう。
八正道(1)正見=正(ただ)しく四諦の道理を見る。(2)正思惟=正しく四諦の道理を思惟する。(3)正語=妄語等を離れ正しい言葉を使う。(4)正業=殺生等を離れ、正しい行いをする。(5)正命=身口意の三業を清浄にし、正しい生活を行う。(6)正精進=仏道修行に励む。(7)正念=邪念をはらい正道を念ずる。(8)正定=清浄なる禅定を行う。
特記しなければならぬのは若き日蓮聖人が仏教を学び出家の道へとかりたてた要因が「されば先臨終の事を習て後に他事を習うべし」ことにあったことである。切なる問題関心として聖人は「臨終の事」に思いをめぐらし、そのことに対応し超克する仏教として法華経信仰に到達したのであった。かくて聖人は聖人の教えが臨終正念であって死後の救済を約束ずけるものであることを門弟に教示する。
※守護経に曰く(地獄に堕ちるに十五の相、餓鬼に八種の相、畜生に五種の相等云々。
※天台大師・摩訶止観「身の黒色は地獄の陰(おん)を誓う」
※臨終経
病者命終の時に臨んで、正念を忘失せぬように祈念する式のこと。まず室に曼荼羅を奉掲し、香を薫じて病者を頭北面西に寝かせ、日頃より信頼する導師を招いて、同座の近親と共に読経唱題し正念を持続させるようにおつとめするのである。
※妙法経力 即身成仏
法華経の経力によって即身成仏することをいう。日蓮聖人は妙法蓮華経の功徳を十界互具論・一念三千論・題目功徳論・妙字功徳論・法華経功徳論・仏種論等によって論証し、五字に仏果を具足するゆえに五字の受持によって即身に成仏を実現するとされた。即ち『観心本尊抄』には具足の証文として三経四疏をあげ「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等この五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与へたまふ」(定七一一頁)と述べられている。釈尊出世の本懐たる法華経は、衆生成仏の大法であり、末法今時においては妙法蓮華経の五字七字として結要し留め置かれた。妙法五字七字は教主釈尊の因行果徳を具足するゆえに、妙法五字の受持によって、我らは自然に因果の功徳を譲与される。このように妙法五字受持の当所に即身に仏果を得るのが受持譲与の教えである。「現世安穏 後生善処」