BONZEブログ

2014年6月の記事一覧

山門修復

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10年ほど前から、修復が必要だと思いつつ現実から目を背けていた感があった。(というのも、この頃から盆と正月の年二回のみ開門)しかし、今年の正月に門を開く際、門扉を開ける事が困難な状態まで柱の腐食が進行したのだった。さすがにこれでは門扉を開ける事が不可能な状態が近々には来ると予測できた。山門修復を考えるにも、まずは修復費用をどうするか?  これが最も頭が痛い。考えていてもラチが開かないので、寺社建築業者へ見積もりを依頼。新しく立て替えれば一千万円。立て替え修復600万円。理解は出来るが・・・高い。

私の考えは、新しく山門を立て替えたところで本堂を含む寺観とマッチするのか?(山門だけが立派すぎる)。現在の山門の修理を依頼しているのに立て替えを進める事に違和感を感じた。それも、業者の考え方の根底に檀家さんからの寄付で修復費用を賄うという考えがあるからだ。相手もプロなので、寺側と檀家側の折衝に立会いも数多く経験しているからであろう。

という流れから、日ごろから当山の修理をお願いしている工務店に相談したところ、快く私の想いを汲んで頂いて修復計画を立ててくれた。費用もかなり抑えてくれ、修復でありながらも以前の山門から立派な山門に生まれ変わった。

この修復は、元総代藤岡博さん、奥様藤岡益子さんお二人から、和歌山にある藤岡家の墓を当山に改葬し永代供養として山門修復をお願いした。以前から、山門修復を気にかけてくださっていた事から私の申し出を快く承諾して頂き、藤岡家先祖代々之霊永代供養として山門修復費用全てをお布施して頂いた。

巷で溢れる永代供養ではなく、これが本来の永代供養であると思う。

 

壽晃院日徳上人遷化

かねてより末期癌でホスピスに入院していた叔母(壽晃院日徳上人)が、6月5日遷化(亡くなる事)。

 

亡くなる当日、午前7時病院に「血圧が70まで下がって来た。直ぐに病院へ来て欲しい」との連絡があった。お参り一軒を終わらせ、午前8時前病院到着。叔母の様子は額に汗をにじませ呼吸が苦しそうだった。額の汗をタオルで拭い、叔母の手を握って妙法蓮華経如来寿量品第十六久遠偈を一読した。

 

その間、叔母の開いた眼に私の姿が映り込み、呼吸が苦しい中、叔母の手を強く握ると、最期の力をふりしぼって私の手を握り返してくれた。叔母の手を見ると指の爪は青黒く変色し始めていた。少しでも苦しい呼吸を緩和してあげたく、水差しからお茶を少しずつ口元から注いだ。そうすると、少量の水分が叔母の喉に達し荒かった呼吸が少し落ち着いた。

 

様子を確認する為看護士が来られ、血圧を計るも、血圧計では血圧が計れなくなっていた。心臓の鼓動も一定では無く不整脈である事を教えてくれた。水分を摂った事で荒かった呼吸から、弱々しい呼吸に変わった叔母の手を再び握りお題目を唱え臨終の時間を共有した。

 

少しずつ呼吸が弱くなり、回数が減っていった。同時に握った手は冷たくなり始め、それでもかすかに呼吸があった。まさに虫の息と表現されるように、喉のあたりの筋肉がかすに振動した状態になった時、ナースコールを押した。看護士さんが到着後聴診器をあて心停止した事を確認してくれた。午前9時31分担当医の死亡診断を受けた。

 

病室へ、お世話頂いた看護士さん達が何人もいらっしゃり、「長谷川さんは、身体が苦しいであろう時も苦しく無いと言い、全く我々の手を患わす事も無く、我がままも言わず、本当に出来た方でした」と話してくれた。

30代で出家得度して55年間。ずっと一人で生活して来た叔母だった。全ての判断を自ら下さないとならなかった事から、どんな事にでも覚悟があったのだと想像出来た。私に自らの最期を託してくれた事も覚悟のうえだったのであろう。

臨終に向かう時間を叔母と共に共有し、僧侶である事はどれほどの覚悟が必要であるかを教えて貰った。この貴重な経験を単なる時間経過の一つの出来事と考えず、今後の糧とし日々の生活、生き方を模索していきたい。

 

妙政法尼ありがとう。

 

南無妙法蓮華経

 

合掌

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