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生きる

天災がおこらず平凡に日々を送っていると、生きるとはどういうことかと考える。天災がおこり、日々の生活が失われてしまった時に、生きているとはどういうことなのかと考えてしまう。

受け難し人身(にんしん)を受けることは、同時に苦しみを伴うものなのか。

2018年大晦日

皆さまにとって今年一年はどういう一年でしたか?
「良い年だった」「悪い年だった」「良いこともあったが、悪いこともあった」等、様々な想いの中一年が終わります。

ふと、考えてみると「良い年とはどういう年なのか?」または「悪い年とはどういう年なのか?」と考えた時、どちらもあてはまるように感じます。なぜならば、ずっと良いことも無いし、ずっと悪いことも無いと考えるからです。それは、ずっと良いことが続いた時「このままずっと良いことが続いて欲しい」と想う欲に満ちた私が現れ、「良いことが終わってしまったら悪い事が起こるとどうしよう」という不安に満ちた私が現れる。しかし、どちらの私も私である。そう考えた時、私の意識の志向性がどちらに向くかで私の現れは変わるということでは無いだろうか?

私事では、今年下半期は地震、台風の自然災害に見舞われた年だった。寺に被害はあったものの修理できる範囲の被害で終わったこと。災害に見舞われたことを知った檀信徒他有縁の皆様から災害見舞いを頂戴したことで早期に修理が完了しました。災害に遭ったことで建築物に被害が及びましたが、皆様の寺に対する想いが、災害見舞いとして現れたことに驚き、これだけの方達が見守ってくれていることを実感出来ました。

全ての物事は表裏一体である。しかし、表裏一体と観るには自然的態度を一旦停止することが求められる。それが今年の災害によって自然的態度が一旦停止したことで深く考えることができたと想う。

2019年は、たとえ成就しなくても小さな目標を沢山掲げて進む一年にしたい。

広宣寺葬祭部

広宣寺葬祭部
9時30分 40年来のお付き合いの檀家さんの葬儀式。
お参り時良くお話を聴かせて頂きました。特に印象に残っていることは「自宅で亡くなりたい」と話されていたことでした。ご主人が亡くなった後、お一人で暮らしていられた。ご自分の死生観をお持ちだったことから「自宅で亡くなりたい」という想いがあったのだろう。それは叶わなかったが約1ヶ月の入院生活時、食事を摂らなくなり自然な流れで死を迎えられた。

 

湯灌の準備
広宣寺葬祭部では湯灌を致します。

墓じまいを考えてみた・・・

「墓じまい」
背景
戦後1955〜73年の約20年にわたり高度経済成長期、若者は働き手として地方から都会へ就職していった。これが核家族の始まりである。核家族化は今までの家制度から個の時代へと形態を変化させた。その現象は墓地にも現れ1970年代以降、自身の墓を建立する人が多く都会では慢性的な墓地用地不足が続いた。昨今、団塊の世代が親を送る時代に入ると共に自身の逝き方も考える時期に入った。その団塊世代が親を送り、墓の面倒をみる。しかし、自身が逝ったあとは墓はいらないという人が多い。なぜなら、何の目的で、何の為に、どのような気持ちで墓参を行ななう意味がわからない。そこで、自身がそうであるから、子供にもこういう苦労はさせたくないと考えるのだろう。それにより、自身が墓を持たず何処かで永代供養されれば子供には迷惑をかけないで済むと考えた。ここで問題は、親世代が建立した墓の処理をどうするのか。このニーズに業者が応えるカタチのネーミングとして「墓じまい」を打ち出した。

仏教的な考え方から観た墓じまい。
仏教の時間論から「墓じまい」を考える。

仏教の時間論は現在が最も重要視される。なぜなら現在の自分には色々な可能性を秘めている。それを過去から解きほぐし、現在に呼び起こすという論法である。それは、現在の在り方の中に過去も未来も含まれている。現在の自分は、遥かな過去からの総決算として今がある。現在の自分がいかにあるかによって未来は決まるということだ。
この論法に墓じまいという行為を照らした場合。墓じまいをするということは、遥かな過去があるからこそ、今自分がこの世に存在している。先祖の一人が違うだけで今の自分は存在しないということになる。それはまさに「受け難き人身を受け」ということではないだろうか。自身が現在に存在している現れを実体化したものとして墓の存在があるのではないか。なぜなら、人は墓参をすることで心が落ち着くという現象がある。現在の自身の行いを墓参という行為によって、過去を解きほぐし、現在に呼び起こし反省し未来を考えるのではないかと考える。仏教的時間論から考えるに自身が墓を無くすということは、遥かな過去を消去してしまうことになるのではないか。なぜなら、次世代の子が、墓参をすることをなくすことで、現在を問うことが出来なくなり自身の存在の意味を考える場がなくなるのではないかと考える。ニーズから発生したブームはいつか終わりがくるだろう。ブームに惑わされることなく考える必要があると想う。

今年も身延山!

7月9日総本山久遠寺輪番奉仕団参を行いました。
当山は、毎年輪番奉仕をさせて頂き今年で45回目です。
今年は輪番奉仕30回の檀家さんが、輪番本部から表彰されました。
毎年、バスを使っての日帰り団参ですが、高齢の皆さんの頑張りに
頭が下がります。それほどまでして身延山久遠寺輪番奉仕に参加する。

それは、宗祖日蓮大聖人を間近に感じることができるからでは無いでしょうか。

北海道へ 2

6月6日法縁全国大会二日目。
午前7時30分ホテルを出発し、ウトロ漁港からチャーター便で知床半島クルーズに出発。所用時間約1時間半。知床半島を海から観るツアーは、知床半島に生息する鳥や動物、海水、流氷自然現象によって侵食された断崖、羅臼岳からの雪解け水が滝となって海へ流れ込む絶景。世界遺産に指定される屈指の大自然を堪能しました。下船後、バスで知床峠を越え北方領土について話しを伺い、知床峠から見る国後島が近くて遠い島という実感と現実を感じた。14時35分中標津空港から羽田乗継ぎで帰阪した。

 

北海道へ 1

6月5日午前9時大阪伊丹空港を離陸し、羽田乗継ぎにて13時北海道女満別空港に到着しました。乗継ぎ(1時間)時間を含め大阪から4時間で北海道入り。今日の女満別は気温26度てす。ただ、湿気が少ないのでそれ程暑さを感じません。北海道入りの目的は、莚師法縁全国大会に管区支部長として参加します。現在女満別空港から、全国大会会場の北見市学法寺様へ向かっています。学法寺様では、先師法要、総会があり終了後、宿泊地のウトロへ移動します。

僧道林へ

日蓮宗僧道林 入林式に参列しました。
今日から開林される僧道林に弟子が入林しました。
僧侶を目指す20数名の沙弥と共に、四泊五日の行学ニ道の修行に精進します。寺の後継者なら手を継ぐ目的があります。ですが、在家出身今後寺を持つことも無い弟子には入林期間中、自身の人生を振り返り反省し、僧侶になる意味、僧侶とは何をする人なのか?を考えて欲しい。

 

会場 本圀寺

当山 星祭り.節分会厳修

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2月5日午前11時より 当山星祭り.節分会を厳修致しました。

当日、掛下久生上人、辻本哲史上人、中沢勇輝師にご出仕賜り、檀信徒60名の皆様にご祈祷をさせて頂きました。法話は、鬼についてお話しをさせて頂きました。

ps  法要中の写真が撮れなかった事が残念!