BONZEブログ

2017年5月の記事一覧

トンビが人を襲う

5/15夕方の報道番組の特集で「京都賀茂川・トンビが人を襲う」と題した取材報道がなされていた。
この時期、京都賀茂川の河川敷では陽気に誘われノンビリと散歩をしたり、昼食を摂ったりする方達が増える。そこにトンビが、上空から食べ物を狙い人の手から食べ物をかっさらっていくという報道内容だった。この取材報道を観て内容を分類して観た。
1,10年前からトンビが人を襲うという事があり、10年前に取材した同じ記者が10年後の今を取材。10年前のVTRを見せてトンビが食べ物をかっさらう模様を放映。

2,如何にトンビが、人の手から食べ物をかっさらう手口の巧妙さをVTRにて紹介。

3,野鳥の会研究員を取材し「トンビが人を襲う」という訳ではなく、トンビが生存している場所にトンビのエサが減少し、容易にエサを手にする事が出来る方法として人の食べ物をかっさらう事になった。これは動物全てに言える事であり、出来る限り容易にエサを調達したいという本能の現れと説明された。(山から降りてきたシカが賀茂川にいる様子をVTRで放映)

4,10年前のトンビが人から食べ物をかっさらう方法は単独行動であったが、現在は集団化し集団の中で役割分担があり、効率良く人から食べ物を奪い、食べ物を集団で分け合う行動に変化している。

5,トンビは、食べ物を持った人全てから食べ物を奪い取る訳ではなく、条件に合致した人の食べ物を狙う。実験VTR放映。実験内容は、身長180cm男性に食べ物を持たせ待機させるが、トンビは彼から食べ物を奪う事がなかった。次の実験は3人グループ(男2女1)で昼食を摂らせる。そこにトンビが女性の食べ物を狙いかっさらっていった。実験結果から、トンビは大柄な男性は狙わず、女性、子供、大柄では無い男性をターゲットにするという結果が出たいう事。

6,賀茂川河川敷で、数年間に渡りハトの餌付けをしている女性を取材。女性はハトのみにエサを与えるが他の鳥にはエサを与えず、その証としてカラスやトンビよけの木の棒を持っている。餌付けの動機を聴いていたがあまりハッキリとはしていなかった。

7,最後に行政に取材していたが、行政側から明確な答えはなかった。

という内容だったと記憶している。

この取材報道を観ての感想は、人間は自らにとって都合の良いものはどこまでも欲しがり、自らにとって都合の悪いものは排除したがることの現れを感じました。なぜなら、自らにとって都合の良いものは、気候の良い時期賀茂川べりで食事をしたい。食事をする事で気分がリフレッシュされ生きる力が湧いてくる。これをずっと続けて行きたい。自らにとって都合の悪い事は、そんな気分で気持ち良く食事をしているところを邪魔されるだけならともかく、食べているモノをかっさらっていくトンビは許せない。というふうに考えられますね。そもそも何故そうなったのか? 野鳥の会研究員さんが、おっしゃっていた人の手によって生態系が崩された事に問題がある。という事ですね。生態系を崩す理由は何なのか? 国土が狭い日本は、人口増加に伴い山を削り海を埋め立て人が住まう場所を拡大していった。それに伴い道路が建設され、人口が増加すると更に便利性を追い求め商業施設等が建設され街化されていく。その結果、本来生息していた動物、植物等生き物全てに影響を及ぼす。人は自らの手であらゆる事を可能に出来る。しかし、人以外の生き物はどうだろうと考えた時、人のような行いは出来ない。生き物は生きる為だけにエサを口にする。彼らのエサが減少し無くなっていく事で、彼らは生きる為にエサを探し求める事になる。その結果が人から食べ物を奪いとったり、人が作った農作物を食べてしまったりという行為に繋がっているように思います。ですが、取材報道を観た皆さんはどのように感じられたのでしょう。トンビが人の食べ物をかっさらい、その巧妙さを紹介し、かといって、トンビ側の都合も入れ中和させ、現在のトンビの食べ物を奪う方法の進化を紹介し、ハトの餌付けを紹介する事でトンビとの関連性があるように思わせたり、行政も動く事が出来ないという結果を紹介して終わった。この報道は、真実という光明に目を瞑らせる身勝手さ(人が生態系を崩している)・無知(人が生態系を崩したが故のトンビの行動だと理解しない)を物語っているように思えました。

 

広宣寺葬祭部(当山の一時代が終わった)

広宣寺葬祭部
4月24日当山元筆頭総代がお亡くなりなった。5年前病を発症し入院。その後一度も退院する事無く逝去の日を迎えた。その間、一度は面会にとも思っていたがそれは叶わなかった。4月23日夜半奥様から訃報の連絡を受け、すぐさま奥様を伴い病院へ直行した。病室に入りベッドに横たわる総代さんを見た時、少し苦しそうにはされている様子だったが息があり、亡くなってはいなかった。ほどなく看護師さんが来られ「病院から亡くなったとの知らせを受けて来ました」と伝えると、「いや、まだ亡くなられたと連絡したのではなく血圧が下がって来た事をお伝えしました」との事だった。私としては、5年前故人が入院した時から、これでお会いする事は出来ないと思っていた。それが思わぬ事でお顔を見る事が出来た。4月26日19時30分通夜式、4月27日9時30分葬儀式を厳修しました。故人は当山護持に尽力され、自らは日蓮宗先達修行に入行。平成27年ご夫妻で山門復興のご寄進をして頂いた。当山の一時代を担ったお一人として記憶に残る。

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