BONZEブログ

2013年6月の記事一覧

追善供養2

代表的な追善供養は、四十九日や一周忌、三回忌、月回向等の法要は追善の為に行われます。我々僧侶が導師となって家族の皆さんと法要をおつとめします。それに対してお布施をする事は無上の功徳があると考えられています。

また、法要の際に塔婆を建てます。塔婆を建てる事はお釈迦様が涅槃後、弟子の皆さんが遺体を荼毘にふし、その御遺骨を分骨し多くの地にお釈迦様の御遺骨を収めた仏舎利塔が建てられました。それを建てる事と勝るとも劣らない功徳があるとされています。

日蓮宗の法要ではお題目をお唱えした後、回向を致します。回向とは生きている我々が積んだ善行(法要)を、亡き人やご先祖、有縁無縁の霊位に回し向けるという意味です。亡き人やご先祖、有縁無縁の霊位はその回し向けられた善行によって功徳を得る事が出来ます。成仏している皆さんには回向功徳の法楽を受けられ、未だ成仏されていない方には成仏へ導く大きな功徳となります。

梅雨が明け、夏が来ればお盆の時期になります。今年のお盆は追善供養の意味を知り、お盆を迎えられてはいかがでしよう。

急性副鼻腔炎

昨日から右側の鼻の奥がムズムズしていました。なんとなく疲労感もあったのですが、今日も鼻の奥がムズムズするので鼻をかんでみたら、粘り気のある濃い茶色の鼻水が出て来ました。

なんとなく右頬に痛みがあったので、もしや副鼻腔炎では?と思い、夕方耳鼻咽喉科の診察を受けました。診察結果は、やはり急性副鼻腔炎でした。

6月は気温差が激しかった事と会議等が多く外出の機会が増えた事で少し体調変化があったと思われます。

七月は東京のお盆があるので体調を整えていかないとなりません。

追善供養とは

仏教では善因善果。悪因悪果といって、善い行いは善い結果を招き、悪い行いは苦しみを招くと考えられています。(因=原因・果=結果)

もっと簡単に言えば、善い行いをすれば良い所(霊山浄土)へ行く事ができるが、悪い行いをすると地獄に落ちるということです。これを因果応報といいいます。

死者は、肉体がなくなるから善行を行おうにも、それが侭ならない。そこで、生きている者が死者に代わって善行を積み、それを死者に振り向ける事が回向であり、追善供養という事です。

迷信1「三ヶ月(みつき)にまたがる・・・」

葬儀後「四十九日の法要が三か月(みつき)にまたがってしまうので三十五日で切り上げて下さい」という依頼がたまにあります。「根拠は何ですか?」と尋ねると「いゃ〜、三ヶ月(みつき)にまたがると悪いと聞いています。」との答え。過去の事例から、ほぼこのやりとりに終始します。それも決まって喪主ではなく、親族がこの事を指摘する事が多く見受けられます。

これは四十九日が、三ヶ月(みつき)にまたがる事を「始終苦が身につく」(しじゅうくがみにつく)といって嫌うのである。「始終苦」は「四十九」で、それが三ヶ月(みつき)にまたがることから、身につく(みつきにつく)と解釈するようです。これは、苦しみが年がら年中つきまとうという意味だそうです。これは語呂合わせから出た俗信(迷信)。雑学的見地では、江戸時代ぐらいから民間に広まったと言われています。

こんな迷信(俗信)を信じていた方には改めて頂き、このような迷信(俗信)が広まらないように我々僧侶も正しい事を伝えていかなければなりません。

信頼

人と人との信頼関係は、築く事には時間と労力が必要。しかし、一瞬にして信頼は崩壊するものでもあると感じた一日だった。過去に於いても同じ事はあった。今回もそうだが、恐らく相手は気付いていないであろう。だが、私を含め仲間達も同じ想いだ。我々の世界でも有る出来事。これも、娑婆世界(忍土)に生きている証。

私の心の中に父である久遠の本仏釈迦牟尼仏がいらっしゃる。娑婆世界での出来事は耐え忍ばなければならない。 

東京

6月11日~12日 声明師連合会会長会議に出席の為上京します。
先日、檀家さんから、お寺さんもそんな会議があるのですね。会社であれば全国支店長会議みたいな感じですね。と、確かにそんな感じですね。11日は4時間の会長研修会。うーん大変です。 

ヴォイストレーニング

昨日は、兵庫県東部声明師会主催、ヴォイストレーニングの研修に参加しました。
僧侶にとって声はいのちとも言えます。しかしながら、僧侶になる過程に於いて発声法等の本格的な講習等はありません。昔ながらの「腹から声を出せ!」的な体育界系の発声法です。特に、我が宗門に於いては寒一百日大荒行という修行があり、声は潰して喉を鍛えるという流れがあり、出行後、喉の調子を崩してしまった方も多くいます。また、一方では、行の流れを引っぱり、日々の読経をガラガラ声でお唱えする方も多い。

ヴォイストレーニングの講義で、「身体を楽器とみたて、喉を使わず、横隔膜、肩甲骨、大腿骨といった大きな筋肉を使い、丹田と呼ばれるお腹の中心よりやや下にある場所を意識しながら腹式呼吸で身体全体を使って声を出す」と、先生は解説してくださった。この方法を意識しながら、声を出すと今迄と全く違い、声が楽に出て、しかも回りに通る声が出ました。毎朝の読経、日々の月回向等と、毎日声を出している身としては、喉に一切の負担をかけず、それでいて通る声が出るなんて目から鱗でした。

講義で習った事が直ぐに習得出来る事はありませんが、毎日、声を出している身としては日々鍛錬が出来る訳で、理想の声を求めて精進してまいります。