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協力するということ…..

2023/04/29 高槻市K寺檀家F家の葬儀式を当山本堂に於いて厳修。

なぜK寺檀家の葬儀を当山で勤めたのか?その経緯は、1年前檀家Fさんが、K寺を訪れK寺住職S上人に「高齢の両親が亡くなった時慌てない為、葬儀社を紹介して欲しい」と尋ねたことが、キッカケだった。その時S上人は、広宣寺住職が自ら葬儀を行なっていることをFさんに話した。それを聴いたFさんは、数日後当山にお越しになり、私から寺葬儀式の内容を説明させて頂いた。

今回F家葬儀式は、4月26日ご遺体を警察署(検死)から当山に搬送、安置。S上人の日程から4月29日葬儀と決まった。

4月28日通夜式 K寺S上人が導師、私とS上人弟弟子N上人が役僧を務めた。通夜式差定(式進行)は、K寺の差定で執り行った。

4月29日葬儀式 S上人導師の元、私、近隣寺院住職M上人が役僧。通夜式と同じくK寺差定で葬儀式を厳修。

ご遺体の安置から葬儀式終了まで、滞り無く式を終えることができた。他寺の檀家さんの葬儀を、しかも菩提寺住職が当山本堂で勤めるという、本来実現することは無いであろう事が実現できたことは、K寺S上人の柔軟な思考によるものだと思います。また、私としては、寺葬儀式を実際に経験して頂くことで、葬儀社主導の葬儀との違いを理解して貰える良い機会であったと考えます。

K寺S上人とM上人のお二人から、今回の寺葬儀式について感想を頂きました。

K寺S上人

今回の広宣寺葬祭部様での通夜・葬儀は、大変勉強になる経験となりました。

人に寄り添うとはどういうことかという問いのヒントを得たように思います。

言うまでもなく、お通夜や葬儀は寺院の重要な役割です。

私たち僧侶は故人を丁寧に弔うとともに、ご遺族に安心していただくことが重要だと考えています。

これまで、良い式にするため力を入れてきたつもりでしたが、不充分なものを感じていました。

それは、大切な人を亡くした方に必要なことができていないという気持ちがあったからです。

もちろん、遺族の助けになる僧侶でありたいとは昔から思っています。

しかし、今までの葬儀の形式ではそれが困難でした。

ご遺族に接しようとすれば行程を狂わせることや、
余計に混乱させることになり、
かえって邪魔になってしまうのです。

結果、式中と前後のわずかな時間にしか関わることができず、
限られた時間の中では形式的なやり取りをすることで精一杯でした。

人が亡くなってから式当日に至るまで、
数々の困りごとや心配ごとがあるはずなのに、
私と対面する頃にはすべて終わってしまっていることが非常に残念でした。

今回、亡くなったことを知らせる最初の電話から、
式の当日に至るまで、相当回数の対応を広宣寺ご住職がしてくださったとお聞きしました。

おそらくこのやり取りの中にこそ、人に寄り添うことの本質があったのではないでしょうか。

些細なことであったとしてもそのときの本人には紛れもない重大事で、
それらひとつひとつに丁寧に対処してくださったことは、
遺族にとって救いであったと思われます。

人の死という大事件の全体図が見えなければできないことで、
そこから思えばこれまで自分が力を入れてきたことは、
ひとつの点をいかに良くするかに過ぎなかったのだと知りました。

一度の葬儀の裏には無数の悩ましい課題があり、
それらを私たちが把握しているだけでも、
檀信徒の安心につながるものと思います。

M上人より

『寺葬儀式…式衆参加』
4月29日に葬儀、式衆としてお手伝いさせて頂くことになり、広宣寺 長谷川上人が提唱する住職自ら最初から最後まで取り仕切る葬儀式とは?
 広宣寺本堂にてお題目三唱挨拶…頭を上げまず本堂に棺そして御飾り落ち着く空気が充満。もちろんてすが、会館とは違う!御本尊の慈愛に包まれてるように思えました。そして式を終え霊柩車まで行列を組み歩いて移動。ここが私の強く印象に残ったシーンでした。それは…住職先頭にお題目で歩くとすれ違う近所の方や遊んでる子どもたちも足を止め合掌しているではないですか、そこに大きな未来を感じました。この風景を目にしたひとも参列の一人、そこから四門出遊の如く『死』について考え生きるということを考え直すきっかけになるかもしてないと思い未来を感じたところでございます。昨今葬儀は会館が当たり前になっていますがお寺で住職が葬儀を取り仕切ることは、なにものにも変えられない安心があり、そのことを垣間見れることができ良い体験をさせて頂きました。ありがとうございます感謝合掌

K寺檀家F家寺葬儀式