BONZEブログ

人生の最期をしめくくるには

先輩上人のフェイスブックより引用させて頂きました。

(檀家)「先週、下の階の方が86歳で亡くなりましてね。通夜に、寄せていただいたのですが、涙が出ましたよ」
(上人)『そんなに親しくされていたのですか』
(檀家)「いいや、あまりにも貧相で、可愛そうになりました」
(上人)『そうなんですか』
(檀家)「自治会の役員で、本当に一生懸命動いていただいた人なんですよ。それなのに、奥さんから、家族葬にするからと言って来られたのですが、現自治会長が、世話になった方だから、通夜ぐらい参列させてほしいと頼まれて、ようやく同じビルの、者だけが伺ったのです」
(上人)『いろいろあっても、行けてよかったですね』
(檀家)「ところが、通夜の時刻が、他の部屋との兼ね合いで、午後9時しか取れないと言われたそうなんです。私たちは、車に乗り合わせて会館まで行きました」「会館に着けば、奥の狭い畳4畳半ぐらいのスペースに、棺が台も無しに直に置かれていて、その左右に一対の花だけあり、その前の座れる場所は、畳3枚ぐらいしかない。そこには、故人の奥さんと、息子夫婦が座っていて、会葬者は、廊下で手を合わせて焼香しました。しかも、宗教者もいない。会館に着いたら、順次ご焼香くださいと言われ、それだけで他には何もない。読経も挨拶もない。名札の掛かった生花もない。」
(上人)『多分、金を取れない葬儀だから、6時や7時と言った一般の通夜時刻を、会葬者が多い方に回したのですよ。86年間生きて、最後がそれじゃ、確かに淋しいですね』
(檀家)「でしょう。互助会に入っていて30万円は貯まっているはずなのに、あんな扱い。こんな淋しい通夜は行ったことがないですよ。あんなんだったら、府営住宅の自分の家でやった方がいいと思いましたよ」
(上人)『葬儀には行かれたのですか』
(檀家)「葬儀には行ってません。通夜だけという約束でしたから。帰りに、その日に会館で行われていた他の通夜式場の前を通ったのですが、いずれも立派な祭壇と生花があり、それを見ると、余計に哀れでさみしい思いがしました。自治会から一緒に行った皆も、帰りには誰一人話すこともなく、黙って帰宅しました」「私も、80歳近くまで生きてきたけど、今回ほど通夜で悲しい思いをしたことはありませんでした」

(上人)『死ぬのは自分だ。自分の事だから、自分で決める。また、家族の者も、家族だけの問題だと思うから、周囲や社会のことを、全く配慮していない。だから、そんな葬儀をしてしまうんですよ。仮に、故人が望んだとしても、周囲には、その人の一生って何? そして、生き方そのものを否定されたような感じがしますよね』