BONZEブログ

合祀墓開眼法要

平成23年2月24日広宣寺墓地内に完成した合祀墓の開眼法要を厳修いたしました。

この合祀墓は、昨今の墓地事情を考え従来の家単位から個人単位で納骨を行うコンセプトです。

合祀の形式をとっている関係上、宗派に関係無くどなたでも納骨して頂けます。合祀墓の良い点は、納骨された方が無縁仏にならない。お墓の維持管理の必要が無い。お墓参りは何時でも可能です。

様々な事情から個人単位のお墓を考えられている方にお勧めします。


広宣寺合祀墓 永代納骨料(一霊位)50,000円
納骨後管理費不要。

大阪府三島管区研修会

平成22年2月22日高槻市交流センター会議室にて開催された「大阪府三島管区研修会」に参加した。当日は、管内僧侶並び寺庭婦人も数多く参加された。
今回のテーマは「自死遺族に対するグリーフケアについて」であった。講師は鷹見先生。自身も遺族の立場から広くグリーフケアについて講演を行い、自死遺族の気持を世間に伝えられている。

2時間半の講演は、あっという間だった。講師先生のお話しはとても理解しやすく且つ資料も分かりやすくまとめられていた。特に、講師先生も驚かれた宗務事務長S上人と布教師会長ST上人のお二人が製作された法話DVDが、とても理解しやすく勉強になった。この法話DVDは、講師先生が自身の体験並びに自死遺族の方達から聞いた僧侶の心ない法話を元に作られたものだ。講演の性質上「悪い法話」と「良い法話」と区別されていた。しかし、同じ立場でない身が聞くと「悪い法話」であっても、どこに使わない方が良いとされる表現が含まれているかわからない。でも、講師の講演を聞いた後だと、遺族に対して使わない方が良い表現が理解できるようになった。

講演後、ふりかえって考えてみた。自死遺族に限らず我々僧侶は全ての遺族に対し、今回学んだ事を活かせねばならない。と思った。
葬儀という一種独特な環境のもと物事をすすめて行く立場として心しておかねばならない。

明志上人 帰山報告式

2月20日(日曜日)西宮 妙宝寺様にて師父の兄弟弟子である幸宏上人長男明志上人の遠壽院大荒行堂帰山報告式に参列してきた。
当日は、春を思わせる暖かい日和ではあったが、一百日間の苦修錬行を積まれた明志上人を始め三人の行僧が水行で六根を清め、大衆(たいしゅう)に加持をする姿は本当に清浄であった。


これからの明志上人の活躍を期待したい。

初講のお手伝い

それにしても、日曜の朝は寒かったですね。
午前10時で気温0度でした。道行く人も、かなり寒そうでした。30日は、1日に二ヶ寺、正午からと18時から、初講のお手伝いがありました。

本堂内の荘厳(しようごん)は、規模の大きさにもよりますが、各寺様々な飾り付けがあります。
見方によっては、そのお寺の個性が現れているともいえますね。

普段あまり目にしない他のお寺の本堂内荘厳の様子です。

寒いですね(>_

今日、明日にかけ第一級寒波が来るらしい。日本海側は、大変な降雪量が予想される。

まもなく立春。
春の訪れが待ち遠しい。

スマートフォンなるものを導入しました

最近、興味の対象になっていたスマートフォン。
昨日、別件でドコモショップに行ったのが運のつき。キャンペーン中だった事で、契約期間の制限が、あるものの初期投資無しでスマートフォンを手に入れる事が出来ました。

それまで、PCを持ち歩いていましたが、これでかさ張り重い重量物から解放されます。

これから、ブログ更新が増えるか? どうか(-_-;)
ちなみに機種は、渡辺 謙さんが宣伝されているGALAXY Tabです。

四十九日と人間のバイオリズム(その四)

人が、「さぁ! やるぞ!」と物事を始めて四、五十日で「消耗現象」が起こる実例を前回のブログから紹介して来ました。

さて、そもそも四十九日とは何ぞや? ?である。

これは、近親者(親子、夫婦、子供)の死を経験した方は、理解できると思います。心の動き、心の安定が四十九日までと四十九日後では随分違いがあります。簡単に説明すると、近親者が亡くなった直後は、誰しも心が不安定になり軽いパニック症候群に陥る感じがします。その状況で通夜、葬儀を終え普段の生活に戻るわけですが、近親者は、ここで少しパニック症候群から脱して空虚感を感じる事もあります。以前は、これから二七日、三七日・・・と、四十九日まで七日ごとに僧侶を招き親族が集まって法要をしていました。

最近は、この七日ごとの法要は忘れ去られつつあります。しかし、近親者にとっては、心の安定を取り戻したわけではなく、四十九日が終わるまではなんとなく落ち着かない状態が続いています。心の不安定さを忘れる為に、葬儀等でお世話になった方への挨拶回りや香典返しの作業があるのかもしれません。ですが、最近は香典を受け取らない事が多々あります。まして家族葬と呼ばれる親族だけの葬儀も増え。葬儀後の忙しさも無くなりつつあります。

こうして本来あるべきものだった「喪の作業」も葬儀と同じく簡素化されて行く事により、人はカタチとしての「弔う」事をしなくりつつあります。よく世間では「気持ちがあれば」と云うのですが、カタチが無ければ気持ちも入らないと思うのは私だけでしようか?

「喪の作業」をしなくとも、四、五十日目で「消耗現象」は、訪れるでしよう。しかし、「喪の作業」を行っていたなら四十九日法要を勤める事で故人の成仏を願い、その先の世界に心静かに故人を見送る事が出来ます。かたや、「喪の作業」を行っていない場合、四十九日目に「消耗現象」が起こり、精神的安堵感につつまれる機会を逃し、ただただ疲れがだけが残る事になるのかもしれません。

人が本来備わっている「逆境に打ち勝つ、リセットする」バイオリズムと、葬儀や四十九日法要の関係性があるともいえますね。

四十九日と人間のバイオリズム(その3)

精神科医の先生も震災を経験した一人だった。阪神淡路大震災では、不眠不休で頑張っていた人達が、ほんとうに四十八、九日で欲も得もなしにぶっ倒れてこんこんと眠った。私もだった。そして、その一週間前ぐらいから、自己激励も限度に近づいている事を私は自覚していた。ただ、四、五十日目までにやるべきことはやってしまわねばならない事を頭に置いていたのは良かったと思う。

四十九日と人間のバイオリズム(その2)

まだまだ続きます・・・

先生の書かれた記事によると、患者さんが社会復帰してから、やはり仕事に向かない、とか、まだ早かったとか言い出すのは四、五十日目である。

患者だけではなかろう。新入生も、新婚夫婦も、四、五十日目に消耗現象を味わっているのではなかろうか。戦後、「五月の連休」というものが出来たことは、復興と高度成長に役立っていないか。一週間も休んで気分転換したら随分回復するからである。

四十九日忌と人間のバイオリズム

話しは、昨日続きになります。

先生の書かれた記事によると、第二次世界大戦では、特に米軍とナチスドイツ軍はこまめに三、四週間ごとに兵隊を後方に送り返し休養させるようになった。ドイツのように陸続きの場合は鉄道で、ベトナム戦争では米軍はヘリを使った。かたや、日本軍は、このことを知らなかったのか?、知っていても精神主義でわが軍は別だとしたのか?、島を守っていることが多かったから、したくても出来なかったのか? 先生は、「軍事精神医学」という本でこの事実を知った。

その目で見るかもしれませんが、「さあ、やるぞ。」と何かをはじめてから、スタミナが尽きるまで、四、五十日であるというのは、いろんな場面にあてはまる。