"日々のこと"の記事一覧
ボイストレーニング
10月29日大阪市円妙寺様にて、大阪市声明師会主催ボイストレーニングがありました。
今回で通算五回トレーニングを受講しましたが、たかが声、されど声。奥が深い。自分の身体でありながら各部をうまく使えないもどかしさを感じます。言い換えれば、一生で各部の全てを使わず人生を終えるのかもしれません。基本を反復練習する事が最も大事な事で、出来なくても諦めず継続する事が大事だと感じました。
日々精進!
近畿教区声明師研修会
私が、当地区の会長を務める声明師会の研修会の当番が今年回って来た
この研修会は、年一回開催、輪番にて近畿地区の各声明師会が主催する。
こういう研修会も、回を重ねる毎に内容がマンネリ化して行き、消化試合的要素も強まって来るので、今回、試みとして外部から講師を招き、講義も三本立てにしてみた。第一部 ボイストレーニング 第二部 漆のはなし 第三部 実践的法事の取り組み方を考える。五時間半に及ぶ講義でしたが、時間を感じさせない講義内容に参加者は満足されていました。主催者側として、これは大変喜ばしく、開催までの苦労が吹き飛ぶ思い出した。
両極端
今年はお盆時期に葬儀が重なった。3つの葬儀の内、2つの葬儀は私の事を全面的に信用してくれていたので葬儀全般の手配を私が取り仕切った。一件は、檀家さんで当山本堂にて通夜、葬儀を行った。もう一件は、自宅にて通夜、葬儀は伊丹市市営葬儀場で行った。両家共に信仰心をお持ちの家族だけに、勤めさせて頂いた通夜、葬儀式に大変喜んで頂いた。
両家共に、親への報恩感謝の念厚く、送られる側の故人も大変喜んでいるに違いない。
もう一件は、某大手葬儀社依頼の葬儀。葬儀会館での通夜、葬儀式。何の変わりも無く機械的に流れる式進行。喪主も分家だった事もあり、齢70代にして信仰について無頓着。現代の代表的家族ともいえる。話の流れから、謗謗罪を犯してしまう事。娘2人で跡継ぎが居ない事を考えて今後の事を提案するも徒労に終わる。せっかく縁を持っても、その人の持つ「業」の強さにはかなわない。しかし、三件中二件の葬儀が、僧侶冥利につきる葬儀だった事を思えば救われた。これまで以上の布教をしなければならないと思った次第である。
お盆が終わっても
7月東京盆から引き続き、関西のお盆に入り8月1日から8月15日まで棚経でお檀家さん宅を回り、8月16日当山盂蘭盆施餓鬼法要。翌日から22日まで毎日関係寺院の盂蘭盆施餓鬼法要のお手伝いが続きます。
世間でいうところの8月13日~15日のお盆期間のみが忙しい訳ではなく、前後も忙しく動いています。8月も残すところ後10日ほど。個人的に夏の終わりは寂しさがつのります。
東京へ・・・お盆の手伝い
毎年、この時期になるとお盆の手伝いに東京へまいります。今年は7月7日上京し、8日盂蘭盆施餓鬼会法要お手伝い。11日から棚経が始まります。現在、棚経の真っ最中です。お手伝いを始めさせて頂いて今年で29年目になりました。これだけの年数をお手伝いしていますと、さまざまな事が見えてきます。
私の棚経のスケジュールは、毎年同じ日の同じ時刻に伺うという事です。一年に一度お会いする関係ですので、少しでも早く私を覚えて頂く事と、日程を決めておく事で檀家さんが棚経を忘れる事が無いようにということです。 29年間このスタンスで棚経を勤めているわけですが、その中であるパターンが見えて来ました。毎年日程を決めているにもかかわらず日程変更を打診される方がいます。
それにもまたツーパターンありまして、ひとつはお盆棚経が始まる前に事前連絡をして下さる方。ふたつめは、上京後、こちらから棚経の電話連絡を差し上げた時に日程変更を言われる方があります。前者は、どうしても用事を入れなければならなくなったという事で、今年のみ日程変更をして欲しいパターンです。後者は、棚経の日程を分かっていながら敢えて変更を言うパターンです。このパターンになって来る理由は、お盆の棚経の意味を理解していないところが多く、数年後棚経が中止になるケースがあります。
自分勝手な方ほど、ご本人は気づいていないことが多く、毎年の棚経からそれがわかりました。
いまいちど、自分さえ良ければいい、自分の先祖だけが救われればいい、そうではなく餓鬼や無縁の霊魂に施し、その回向功徳が皆さんに及ぶお盆の意味をお伝えしていかなければなりません。
追善供養2
代表的な追善供養は、四十九日や一周忌、三回忌、月回向等の法要は追善の為に行われます。我々僧侶が導師となって家族の皆さんと法要をおつとめします。それに対してお布施をする事は無上の功徳があると考えられています。
また、法要の際に塔婆を建てます。塔婆を建てる事はお釈迦様が涅槃後、弟子の皆さんが遺体を荼毘にふし、その御遺骨を分骨し多くの地にお釈迦様の御遺骨を収めた仏舎利塔が建てられました。それを建てる事と勝るとも劣らない功徳があるとされています。
日蓮宗の法要ではお題目をお唱えした後、回向を致します。回向とは生きている我々が積んだ善行(法要)を、亡き人やご先祖、有縁無縁の霊位に回し向けるという意味です。亡き人やご先祖、有縁無縁の霊位はその回し向けられた善行によって功徳を得る事が出来ます。成仏している皆さんには回向功徳の法楽を受けられ、未だ成仏されていない方には成仏へ導く大きな功徳となります。
梅雨が明け、夏が来ればお盆の時期になります。今年のお盆は追善供養の意味を知り、お盆を迎えられてはいかがでしよう。
追善供養とは
仏教では善因善果。悪因悪果といって、善い行いは善い結果を招き、悪い行いは苦しみを招くと考えられています。(因=原因・果=結果)
もっと簡単に言えば、善い行いをすれば良い所(霊山浄土)へ行く事ができるが、悪い行いをすると地獄に落ちるということです。これを因果応報といいいます。
死者は、肉体がなくなるから善行を行おうにも、それが侭ならない。そこで、生きている者が死者に代わって善行を積み、それを死者に振り向ける事が回向であり、追善供養という事です。