BONZEブログ

"日々のこと"の記事一覧

迷信1「三ヶ月(みつき)にまたがる・・・」

葬儀後「四十九日の法要が三か月(みつき)にまたがってしまうので三十五日で切り上げて下さい」という依頼がたまにあります。「根拠は何ですか?」と尋ねると「いゃ〜、三ヶ月(みつき)にまたがると悪いと聞いています。」との答え。過去の事例から、ほぼこのやりとりに終始します。それも決まって喪主ではなく、親族がこの事を指摘する事が多く見受けられます。

これは四十九日が、三ヶ月(みつき)にまたがる事を「始終苦が身につく」(しじゅうくがみにつく)といって嫌うのである。「始終苦」は「四十九」で、それが三ヶ月(みつき)にまたがることから、身につく(みつきにつく)と解釈するようです。これは、苦しみが年がら年中つきまとうという意味だそうです。これは語呂合わせから出た俗信(迷信)。雑学的見地では、江戸時代ぐらいから民間に広まったと言われています。

こんな迷信(俗信)を信じていた方には改めて頂き、このような迷信(俗信)が広まらないように我々僧侶も正しい事を伝えていかなければなりません。

東京

6月11日~12日 声明師連合会会長会議に出席の為上京します。
先日、檀家さんから、お寺さんもそんな会議があるのですね。会社であれば全国支店長会議みたいな感じですね。と、確かにそんな感じですね。11日は4時間の会長研修会。うーん大変です。 

ヴォイストレーニング

昨日は、兵庫県東部声明師会主催、ヴォイストレーニングの研修に参加しました。
僧侶にとって声はいのちとも言えます。しかしながら、僧侶になる過程に於いて発声法等の本格的な講習等はありません。昔ながらの「腹から声を出せ!」的な体育界系の発声法です。特に、我が宗門に於いては寒一百日大荒行という修行があり、声は潰して喉を鍛えるという流れがあり、出行後、喉の調子を崩してしまった方も多くいます。また、一方では、行の流れを引っぱり、日々の読経をガラガラ声でお唱えする方も多い。

ヴォイストレーニングの講義で、「身体を楽器とみたて、喉を使わず、横隔膜、肩甲骨、大腿骨といった大きな筋肉を使い、丹田と呼ばれるお腹の中心よりやや下にある場所を意識しながら腹式呼吸で身体全体を使って声を出す」と、先生は解説してくださった。この方法を意識しながら、声を出すと今迄と全く違い、声が楽に出て、しかも回りに通る声が出ました。毎朝の読経、日々の月回向等と、毎日声を出している身としては、喉に一切の負担をかけず、それでいて通る声が出るなんて目から鱗でした。

講義で習った事が直ぐに習得出来る事はありませんが、毎日、声を出している身としては日々鍛錬が出来る訳で、理想の声を求めて精進してまいります。

総本山 身延山久遠寺

5月21日新緑の身延久遠寺にお参りに行って来ました。
身延山へは毎年秋に、檀信徒の皆様と輪番奉仕で参拝しております。
日頃、プライベートで本山へお参りする機会が無く、今回は時間を気にせずゆっくりと参拝する事が出来ました。

多忙な毎日を過ごしている身としては、日蓮大聖人の御心に触れ、もう一度自己を見つめ直すきっかけとなりました。

波木井殿御報
「九年まで御きえ候ぬる御心ざし、申すばかりなく候へば、いづくにて死に候とも、はか(墓)をばみのぶさわ(沢)にせさせ候べく候。」

「九ケ年もの間、御帰依くだされた御志はまことにありがたく、たとえどこで死にましても、墓は身延の沢に造っていただきたいと存じます。」(現代語訳)

連休中の移動手段

連休中の車の流れは非常に遅く、日頃渋滞をしない場所で渋滞が発生したり、なんとも走りにくい道路環境。
この連休中の移動に大活躍してくれたスーパーカブ。
5月3日は、高槻~豊中~宝塚~高槻。
5月4日は、高槻~西宮~高槻。

少し疲れは残ったものの、走り切りました。

GW後半四連休

今日から連休後半。高速道路は大渋滞。各所で事故も発生しています。運転には、くれぐれも気をつけていかなければ。さぁ、今日も法務に出発します!    

多忙な日々

最近、能力が落ちて来たのか? どうも時間に追われている感じがします。

何か行動するにしても時間がかかるし、忘れ物が無いように事前準備が必要だし、予定をこなせないといったところです。

50歳を過ぎ、生老病死の四苦の中の「老」を感じる今日このごろ。
「老」を意識する事で、行動を変化させて行く。「老」てこそ出来る事も多々あります。

我々、僧侶は老いてこそ布教活動実践の時ではないか?と、自分に言い聞かせています。
しっかり勉強せねば。

遠壽院大荒行堂成満行僧水行

2/11大谷寺様祈祷会
遠壽院大荒行堂行僧上人水行

大谷寺様祈祷会に出仕


茨城県筑西市 大谷寺様祈祷会の手伝いに行って来ました。
大谷寺様は、毎年2月11日に遠壽院大荒行堂を成満された行僧を招き祈祷会を厳修されています。

私は、立正大学在学中からお手伝いさせて頂いております。その縁で、ご山主 横川僧正に仲人をして頂きました。

今年も百日間の大荒行を成満された行僧各聖の力強い祈祷が行われました。 

人生の最期をしめくくるには

先輩上人のフェイスブックより引用させて頂きました。

(檀家)「先週、下の階の方が86歳で亡くなりましてね。通夜に、寄せていただいたのですが、涙が出ましたよ」
(上人)『そんなに親しくされていたのですか』
(檀家)「いいや、あまりにも貧相で、可愛そうになりました」
(上人)『そうなんですか』
(檀家)「自治会の役員で、本当に一生懸命動いていただいた人なんですよ。それなのに、奥さんから、家族葬にするからと言って来られたのですが、現自治会長が、世話になった方だから、通夜ぐらい参列させてほしいと頼まれて、ようやく同じビルの、者だけが伺ったのです」
(上人)『いろいろあっても、行けてよかったですね』
(檀家)「ところが、通夜の時刻が、他の部屋との兼ね合いで、午後9時しか取れないと言われたそうなんです。私たちは、車に乗り合わせて会館まで行きました」「会館に着けば、奥の狭い畳4畳半ぐらいのスペースに、棺が台も無しに直に置かれていて、その左右に一対の花だけあり、その前の座れる場所は、畳3枚ぐらいしかない。そこには、故人の奥さんと、息子夫婦が座っていて、会葬者は、廊下で手を合わせて焼香しました。しかも、宗教者もいない。会館に着いたら、順次ご焼香くださいと言われ、それだけで他には何もない。読経も挨拶もない。名札の掛かった生花もない。」
(上人)『多分、金を取れない葬儀だから、6時や7時と言った一般の通夜時刻を、会葬者が多い方に回したのですよ。86年間生きて、最後がそれじゃ、確かに淋しいですね』
(檀家)「でしょう。互助会に入っていて30万円は貯まっているはずなのに、あんな扱い。こんな淋しい通夜は行ったことがないですよ。あんなんだったら、府営住宅の自分の家でやった方がいいと思いましたよ」
(上人)『葬儀には行かれたのですか』
(檀家)「葬儀には行ってません。通夜だけという約束でしたから。帰りに、その日に会館で行われていた他の通夜式場の前を通ったのですが、いずれも立派な祭壇と生花があり、それを見ると、余計に哀れでさみしい思いがしました。自治会から一緒に行った皆も、帰りには誰一人話すこともなく、黙って帰宅しました」「私も、80歳近くまで生きてきたけど、今回ほど通夜で悲しい思いをしたことはありませんでした」

(上人)『死ぬのは自分だ。自分の事だから、自分で決める。また、家族の者も、家族だけの問題だと思うから、周囲や社会のことを、全く配慮していない。だから、そんな葬儀をしてしまうんですよ。仮に、故人が望んだとしても、周囲には、その人の一生って何? そして、生き方そのものを否定されたような感じがしますよね』