BONZEブログ

"日々のこと"の記事一覧

効果抜群!{寺ヨガ」

先月に引き続き「寺ヨガ」に参加しました。

昨日のレッスンは、気候も安定して来たせいか? 参加者12名。本堂内いっぱいを使用しポーズを取りました。

私が参加するのは通算3回目。一回目、二回目終わった後、身体が痛気持ち良い状態。
三回目は、自分でも驚くほど身体に柔軟性が出て来たこと。終わった後、身体全体がスーッと伸びている感じがありました。
たった3回で効果を実感出来るとは・・・ヨガって楽しい。

生まれた時は、心にも身体にも柔軟性を持っていたはずなのに。齢(よわい)を重ねるごとに、心、身体共に柔軟性が失われて行く。
そんな流れを、パワースポットである本堂で行う「寺ヨガ」で、心と身体の柔軟性を取り戻して行けそうです。

東京

東日本大震災後、始めて東京へ上京した。
新聞等の情報で東京は節電に務めている事を知っていたが、新幹線品川駅に降りた瞬間、これほどまで駅構内が暗い事に驚いた。

街全体もなんとなく暗く、飲食店の店内も暗い。震災直後から比べるとこれでも明るくなった方とは・・・皆さんの節電意識も高く、これから電力を必要以上に使わない暮らしへとシフトして行くのではないか?

関西は電力不足ではないものの、意識変化が起こる時が近い将来来るかもしれない。
静岡の友人の話しでは、浜岡原発が停止した事で今後節電を余儀なくされる事になるだろうと。
大きく世の中が変化して行くのかもしれませんね。

寺ヨガ 盛況!

毎月第二・第四 金曜日(午後1時〜2時) 広宣寺本堂で開催されている「寺ヨガ」が、開校2年目を迎えました。開校当初は生徒さんも少なかったのですが、回を重ねるごとに少しずつ増えて来ました。

本堂内で行うヨガは、スタジオ等で行うヨガとは少し違います。インストラクターの丸地先生指導で静かな環境の元、仏様のぬくもりに触れながらとるヨガのポーズは、まさに天と地と一体になった感覚が生まれます。


「写真前列中央向かって右側 丸地インストラクター」

「寺ヨガ」レッスン料 1回700円(一名)
※月謝ではなく、一回ごとのレッスン料なので参加したい時のみ支払うワンショットレッスン形式です。
日々の生活の中で、溜まったストレスや煩悩、怒り等を消化してくれます。

東日本大震災

東日本大震災に於いて、謹んでお亡くなりになられた方々の御冥福をお祈りし、被災されました皆さまに対しまして衷心よりお見舞いを申し上げます。

今、私自身が出来る事として毎朝の朝勤時に亡くなれた方々の回向供養をさせて頂いています。その他に、檀信徒の皆さんへ募金を呼びかけ、義援金を送らせて頂いております。

今後、復興への前途は難多きことと推察されますが、異体同心の心を持って支援させて頂くつもりです。

頑張れ 東北!
頑張ろう 日本!

大阪府三島管区研修会

平成22年2月22日高槻市交流センター会議室にて開催された「大阪府三島管区研修会」に参加した。当日は、管内僧侶並び寺庭婦人も数多く参加された。
今回のテーマは「自死遺族に対するグリーフケアについて」であった。講師は鷹見先生。自身も遺族の立場から広くグリーフケアについて講演を行い、自死遺族の気持を世間に伝えられている。

2時間半の講演は、あっという間だった。講師先生のお話しはとても理解しやすく且つ資料も分かりやすくまとめられていた。特に、講師先生も驚かれた宗務事務長S上人と布教師会長ST上人のお二人が製作された法話DVDが、とても理解しやすく勉強になった。この法話DVDは、講師先生が自身の体験並びに自死遺族の方達から聞いた僧侶の心ない法話を元に作られたものだ。講演の性質上「悪い法話」と「良い法話」と区別されていた。しかし、同じ立場でない身が聞くと「悪い法話」であっても、どこに使わない方が良いとされる表現が含まれているかわからない。でも、講師の講演を聞いた後だと、遺族に対して使わない方が良い表現が理解できるようになった。

講演後、ふりかえって考えてみた。自死遺族に限らず我々僧侶は全ての遺族に対し、今回学んだ事を活かせねばならない。と思った。
葬儀という一種独特な環境のもと物事をすすめて行く立場として心しておかねばならない。

初講のお手伝い

それにしても、日曜の朝は寒かったですね。
午前10時で気温0度でした。道行く人も、かなり寒そうでした。30日は、1日に二ヶ寺、正午からと18時から、初講のお手伝いがありました。

本堂内の荘厳(しようごん)は、規模の大きさにもよりますが、各寺様々な飾り付けがあります。
見方によっては、そのお寺の個性が現れているともいえますね。

普段あまり目にしない他のお寺の本堂内荘厳の様子です。

寒いですね(>_

今日、明日にかけ第一級寒波が来るらしい。日本海側は、大変な降雪量が予想される。

まもなく立春。
春の訪れが待ち遠しい。

スマートフォンなるものを導入しました

最近、興味の対象になっていたスマートフォン。
昨日、別件でドコモショップに行ったのが運のつき。キャンペーン中だった事で、契約期間の制限が、あるものの初期投資無しでスマートフォンを手に入れる事が出来ました。

それまで、PCを持ち歩いていましたが、これでかさ張り重い重量物から解放されます。

これから、ブログ更新が増えるか? どうか(-_-;)
ちなみに機種は、渡辺 謙さんが宣伝されているGALAXY Tabです。

四十九日と人間のバイオリズム(その四)

人が、「さぁ! やるぞ!」と物事を始めて四、五十日で「消耗現象」が起こる実例を前回のブログから紹介して来ました。

さて、そもそも四十九日とは何ぞや? ?である。

これは、近親者(親子、夫婦、子供)の死を経験した方は、理解できると思います。心の動き、心の安定が四十九日までと四十九日後では随分違いがあります。簡単に説明すると、近親者が亡くなった直後は、誰しも心が不安定になり軽いパニック症候群に陥る感じがします。その状況で通夜、葬儀を終え普段の生活に戻るわけですが、近親者は、ここで少しパニック症候群から脱して空虚感を感じる事もあります。以前は、これから二七日、三七日・・・と、四十九日まで七日ごとに僧侶を招き親族が集まって法要をしていました。

最近は、この七日ごとの法要は忘れ去られつつあります。しかし、近親者にとっては、心の安定を取り戻したわけではなく、四十九日が終わるまではなんとなく落ち着かない状態が続いています。心の不安定さを忘れる為に、葬儀等でお世話になった方への挨拶回りや香典返しの作業があるのかもしれません。ですが、最近は香典を受け取らない事が多々あります。まして家族葬と呼ばれる親族だけの葬儀も増え。葬儀後の忙しさも無くなりつつあります。

こうして本来あるべきものだった「喪の作業」も葬儀と同じく簡素化されて行く事により、人はカタチとしての「弔う」事をしなくりつつあります。よく世間では「気持ちがあれば」と云うのですが、カタチが無ければ気持ちも入らないと思うのは私だけでしようか?

「喪の作業」をしなくとも、四、五十日目で「消耗現象」は、訪れるでしよう。しかし、「喪の作業」を行っていたなら四十九日法要を勤める事で故人の成仏を願い、その先の世界に心静かに故人を見送る事が出来ます。かたや、「喪の作業」を行っていない場合、四十九日目に「消耗現象」が起こり、精神的安堵感につつまれる機会を逃し、ただただ疲れがだけが残る事になるのかもしれません。

人が本来備わっている「逆境に打ち勝つ、リセットする」バイオリズムと、葬儀や四十九日法要の関係性があるともいえますね。

四十九日と人間のバイオリズム(その3)

精神科医の先生も震災を経験した一人だった。阪神淡路大震災では、不眠不休で頑張っていた人達が、ほんとうに四十八、九日で欲も得もなしにぶっ倒れてこんこんと眠った。私もだった。そして、その一週間前ぐらいから、自己激励も限度に近づいている事を私は自覚していた。ただ、四、五十日目までにやるべきことはやってしまわねばならない事を頭に置いていたのは良かったと思う。