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檀家さん達と交流
極寒の中、檀家さん二人と共に三台で奈良県宇陀市にある伊那佐郵人(レストラン)まで骨肉茶(バクテー)を食すツーリングに行って来ました。
檀家さんの一人が、マレーシア単身赴任時代に良く食されていたそうで、ネットで検索したところ伊那佐郵人がヒットした事から、ツーリング企画を立ててくれました。
バクテーは、薬膳鍋で具材は骨付き牛肉がメインに白菜、エノキ、シイタケ等が入っていました。薬膳スープ は、あっさりしていましたが、小鉢で用意された鷹のつめ等スパイスが入った醤油を好みで足せば辛さが出ます。
本場の味を知る檀家さん曰く、日本人向けにあっさりした味付けになっているとの感想でした。マレーシアでは、もっと、こってりしていて辛さもプラスされ、汗だくになるそうです。
レストラン伊那佐郵人は、元郵便局を改装したレストランで、シェフが日替わりでメニューも変わるそうです。風情のあるレストランでした。
今回の参加バイクは、MT-09二台、CB1300でした
結婚式に参列
今から八年程前、私はモータースポーツ関係の専門学校で5年間講師をしていた。その時の教え子が、結婚する事になり、挙式、披露宴に招待され愛媛県松山市まで行って来た。
彼は、愛媛の高校卒業後、私が講師をする専門学校に入学した。彼は、頭脳明晰、意思強固、性格温和であり、レーシングドライバーとしては、少し向かなかったが、専門学校卒業後、某有名レーシングコンストラクターに就職。このままレーシングエンジニアとして歩み出した時、不況の影響で彼等新入社員が全員解雇されてしまった。それでも彼は諦めず、京都工業繊維大学を受験合格し、すぐさま学生フォーミュラ部に入部。そこで、彼が今まで蓄積して来たノウハウをいかんなく発揮出来、創部以来初の学生フォーミュラ選手権チャンピオンを獲得した。今年卒業と同時にトヨタ自動車へ就職。その能力から、ランドクルーザーシャシ設計室に配属された。
人生を切り開ける力と能力を持った彼は、良い伴侶を得て、益々幸せになってくれるだろう!
末長くお幸せに!
マナーがあれば
愚痴です・・・
昨日乗車していたJR車内の様子を見ていて、以前東京在住の友人から、「関西の人はどうして座席定員分座らないのですか?」と、質問された事があります。まさにその通りでマナーを守る気が無い人間が多すぎる。隣の中年男性も1.5人分の座席を我が物顔で占拠し、おまけに足まで組んでいる始末。これが関西の定番? 座席定員分を座るようにマナーは守ろうよ。そうすれば、本当に座らないとならない人が、座れるようになる事が出来ますね。
合掌する事
但行礼拝。常不軽菩薩が、私は貴方を軽んじません。何故なら、貴方は仏になるからです。我々は、久遠の本仏釈迦牟尼如来から仏種を授けられています。故に常不軽菩薩は、会う人々全てに合掌されました。それは、仏の姿であり但行礼拝という成仏に至る修行の事であります。
人を敬う心を形に現した但行礼拝。
恥ずかしい事ですが、私は、教学を勉強するまで但行礼拝をしませんでした。本当に無知とはこういう事です。人を敬う心を持っていなかったのです。その後、それに気づき猛省し、檀家さんに但行礼拝の意味をお話し、当山にいらした時だけでも、皆さん同士で但行礼拝をする事を勧めました。そうしますと、皆さん但行礼拝をすすんで行われるようになりました。
かたや我々、僧侶間に於いて一部の方のみが但行礼拝を実践されていますが、まだまだ浸透しているとは思えません。人を敬う心が、世界平和に繋がる。その担い手である我々僧侶が、人を敬う心を失いつつあるのではないか?
私自身も猛省の日々です。
寒行
一年で最も気温が下がる大寒の時期、太鼓を打ち鳴らし、お題目をお唱えしながら歩く寒行に参加しました。この寒行の主催は、当地の日蓮宗青年会有志。その中に青年会OBとして参加しました。17時水瀬瀬妙本寺様を出発し、地域を練り歩き、19時に再び妙本寺様に戻りました。太鼓を打ち鳴らしお題目をお唱えする事で、自分自身の罪障消滅を願い、街に響くお題目は、それを聞いた人々、全てのものを仏へと導く手立てでもあります。
1月20日、23日の寒行が終わり、次回は30日高槻市駅周辺を歩く予定です。
妙福寺様へお手伝いに行って参りました。
年が明けてもう三日も経ってしまいました。昨日は、大混雑の京都市内へ、当家墓所がある本山本満寺様へお参りして来ました。京都では正月にお墓参りをする方も多く、沢山のお参りの方がいらっしゃいました。
本日三日は、毎年お手伝いをさせていただいている大阪市南森町妙福寺様へ。毎年恒例妙福寺交通安全祈願の修法導師を務めさせて頂きました。車用のお札にご祈祷をし、今年一年、祈願主の交通安全を祈願致しました。
増加
今日午前9時15分から葬儀式を厳修した。
式前の打合せを司会者としたやりとりの中で、最近、大手葬儀社の葬儀件数が減少しているのではないか?という話しになった。時間に余裕がある時、たまにこうして、現場で従事されている方と話しをする。会話から、いわば最も新しい情報を得る事が出来る。冒頭の件は、私も感じていた事で、実際、司会業は派遣が殆どだ。その仕事が減って来ているという事だった。転職も考えないといけなくなっていると聞き驚いた。しかし、話しによると何処の火葬場もほぼ毎日いっぱいだという事だ。葬儀が減っているが、火葬は通常通りあることは、いよいよ、葬儀の流れが直葬にシフトして来た事が考えられる。
この直葬だが、人によって受け止め方は違うものの総じて後悔の念が残るとも聞いている。葬儀に従事する人達から、直葬はやめて欲しい。という話しを良く聞く。彼等もまた直葬が異常な行為だと感じている事にほかならないのかもしれない。
太古の昔より、弔うという事は人間として生きた証しだとされて来たと思う。やがて物質文明になり、お金とモノが手に入れば幸せだということを植え付けられて来たのではないか?それよりも精神的充実感を得られなければ幸せと思えない。
葬儀もまた商売として成り立つものではないと思う。ある面、直葬の増加は、今だに葬儀を商売として考えている葬儀社への抵抗なのかもしれない。