授戒式の準備
来る3月31日当山にて授戒式を執り行うにあたり、諸々の準備を進行中です。この授戒式は、先代住職から逆修(日蓮宗では、戒名を法号といいます)すなわち、法号を授与された檀家の皆様に、その法号を授戒して頂く為の式です。逆修法号を受けるという事は、死んで行く際の名前を貰うという訳ではなく、今以上に法華経に帰依し、受持、読誦し、法華経を広め功徳を積む決意を現す事です。
来る3月31日当山にて授戒式を執り行うにあたり、諸々の準備を進行中です。この授戒式は、先代住職から逆修(日蓮宗では、戒名を法号といいます)すなわち、法号を授与された檀家の皆様に、その法号を授戒して頂く為の式です。逆修法号を受けるという事は、死んで行く際の名前を貰うという訳ではなく、今以上に法華経に帰依し、受持、読誦し、法華経を広め功徳を積む決意を現す事です。
広宣寺葬祭部設立を発表した途端、同門の皆さんから反響があり、話を聴きたいというお上人方が連日当山を訪問されています。もしかしたら、これからの葬祭のあり方になる予感です。
一歩進んだ広宣寺にご期待下さい!
この度、檀信徒の皆様に菩提寺での「寺葬儀式」(小規模葬儀式)を勧めて行くにあたり当山に広宣寺葬祭部を設立しました。
これは、十数年前から考えていた事で、「寺葬儀」に於いて僧侶が葬儀式を司る事が出来なければならないという事です。ですが、最終的に「寺葬儀」をするにあたって超えられないハードルでもありました。具体的にあげれば、寝台車手配、ご遺体の搬送、安置、(枕経)、納棺、葬儀日程調整、(役僧依頼)、火葬場予約、霊柩車手配、本堂内祭壇設置指示、送迎バス手配、通夜、葬儀時食事手配、(通夜式導師、葬儀式導師)、収骨立会い等を全て行わねばなりません。しかし、現実はカッコにて囲んだ事が僧侶のなすべき事となっていると思います。私は、カッコで囲んだ以外の上記の内容を、知人から2年前に紹介された博益社峯石社長の指導のもと、これまでに行った檀家の寺葬儀時に実習して来ました。今では、人手と車両が必要な部分は博益社さんにサポート頂き、ほぼ全ての事が出来るようになり、これを機に博益社さんが広宣寺葬祭部実働部隊となり、前面に私が出て指揮が取れるようになりました。これにより、喪主、遺族と相対する時間が今までに以上多く取れ、また会話の内容も濃密となります。その場で喪主からの相談を受ける事も出来、寺と喪主、遺族の関係性が深まる事は経験上間違いありません。
菩提寺の住職が葬儀式の全てを司どる「寺葬儀式」。この「寺葬儀式」の考えに賛同される同士が、いらっしゃるようであれば共に各自坊檀信徒に勧めて行こうではありませんか。
2/15の予定はタイトでした。
am9.00安産祈願、am10.00一周忌法要、am11.00満中陰法要。施主さん達と食事、pm6.00葬儀会館にて通夜式。
葬儀会館に入る前、高槻市斎場に寄り8寸骨壺を買い求めました。これは、昨今の葬儀社は、何故かわかりませんが5寸骨壺を用意しています。このサイズだと全骨を収骨する事が出来ません。残した遺骨の行先は何処なのでしようか?考えた事はありませんか?
友人である住職のはなしでは「かつて尼崎市の弥生が丘斎場(額田の火葬場)の職員に訊いたことがあります。収骨しない遺骨はどこに持っていくのかと。
能登半島の方に持って行って埋葬するとか言っていました。真偽は不明です。
第一生命経済研究所ライフデザイン研究本部主任研究員の小谷みどりさんの講演を聴いていたら産廃扱いだと聞いたよう記憶しています。」という事でした。
私は、檀信徒の収骨には必ず立ち会い全骨を収骨しています。
昨日、当山の葬儀をおまかせしている博益社さんに、今回の葬儀費用の支払いに行って来た。支払いを済ませ事務所で歓談している時、葬儀相談の電話が入り、社員に代わり社長が応対をおこなった。話の内容から、自宅死亡、死後2~3日経過しており司法解剖に回るとの事。また、自らの経済状態から葬儀を10万~15万でして欲しい等の内容だった。巷で流行りだした火葬のみの直葬(ちょくそう)であってもかかる経費を計算すると、希望する金額では出来ない説明を社長はし、相手方も納得したのか? 20分後に会社へ伺いたいとの事で電話が終わった。
昨年より、私は葬儀社へ葬儀の事前相談へ来る方の生の声を聴いてみたく、年が明けたら事前相談の場に立ち会わせて欲しいむねをお願いしていた。それもあって、今回の方の相談に立ち会わせてもらうことになった。
社長が、再度葬儀費用の説明をし、喪主になる弟さんの意見を聴いたところ、提示した金額は、「親戚が葬儀に金をかけるな。10万か15万で出来るはずや。」とのお達しがあった事で、何もしらない喪主は葬儀社数社へ連絡し金額を聴いていたとの事がわかった。喪主としては、親戚が提示した金額では、葬儀は出来ない事を把握したうえで博益社を選んだという事だ。最終的には、通常の葬儀を執り行う事に決まり、菩提寺も無ければ信仰し属している宗派、教団も無い事から同席していた私が葬儀導師を勤める事になった。
経緯としてはこういう流れだったが、まずもって親戚の認識があまりにも常識からかけ離れている点だ。しかし、これは現在の世相の現れであり、テレビ、雑誌で取り上げられた葬儀特集の拡大解釈版と言わざる得ない。きっと、このような事を知っていると思われる人から聞きかじった程度の知識を自分なりに解釈しひけらかしたと思われる。本人は、よかれと思った対応だったと思うが、弟さんは兄さんの葬儀を出して送ってやりたいと
いう気持ちだった。それが最優先される事を考えてあげる事が大事なのに、金を使わさないようにする事が最優先では無いように思った。
本当に、智慧の無い大人が増えた。増えたというより、そんな人が世の中の大半を占めるようになっている。
これを打開していく手立ては無いだろう。それは、敷居が高く一般人にとっては無縁の寺へ誰が足を向けるのか? しかし、私は我々僧侶がその場に出向き生の声を聴くことで、ほんの少しだけでも葬儀に対する考え方の道しるべになれればと思い、今年から事前相談の場に立ち会わせて頂く。
先日、身内が入会していた互助会会員契約を解約した。
数年前まで、この解約手続きは互助会側の解約をさせまいとする意図の元、解約手続きに関して煩雑さを極めていた。例えばこの手の知識の無い方が解約を申し出ても「解約は出来ない」「解約すれば掛金の半分しか返金しない」等の事を言われ、それでも食い下がると解約手続きが如何に煩雑であるかを説明され、各種書類を揃えるように言われる。ここまでくれば大抵の方は諦めるものだ。ここまで必要に食い下がる理由のひとつとして契約を解約されると勧誘員に対してペナルティ(罰金)が課されるようだ。しかし、最近、或る某大手互助会が解約に応じかなかった事から裁判を起こされ、結果的に敗訴した事で世間に互助会の在り方をしらしめた。その後、大手互助会は解約手数料を取るが解約に応じるようになった。しかし、この解約手数料も互助会によって金額が違うというのは合点がいかないところである。
身内から会員証と約款を取り寄せ、約款を確認後会社へ解約の連絡を入れた。やはり、対応に関しては前記した敗訴の影響か?丁寧に解約手続きに関して説明があった。ただ一点、解約に際し個人を証明する書類が必要との説明の中で、相手方から「個人を証明する書類として印鑑証明が必要」と言う。約款を確認していた私は「約款には、運転免許証・保険証・各種身分証明書・パスポートと記されていますが、それではダメなのですか?」と聞き返した。そうすると相手方はしどろもどろになり、あげく「約款に記載されている証明書で大丈夫です」と答えた。このやり取りが互助会の全てである。それは「嘘」を平気でつく体質がそこにある。だから、契約し満期になった金額で葬儀は出されるものの、喪主が思う葬儀の内容から程遠い内容であり追加金額が必要になって来る。ならば、勧誘時に「これに入れば葬儀が出来ます」と勧誘するのは嘘ではないか? 解約時にさえも解約させまいとして約款に記されていない書類の提出を求める嘘をつく。掛金を掛けていても利息がつく訳でもなし、一体、互助会に何のメリットがあるのか?
是非、考えて頂ければと思います。
「広宣寺が提案する葬儀」
http://www.kousennji.jp/sougi.html
実際にあった茨木市内某大手葬儀社のミス。
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(知人である日蓮宗寺院住職の記事をコピー)
今日会った住職から、恐ろしい話を聞いた。
少し前に檀徒さんが亡くなったのだが、生活保護世帯で、身寄りも無く、葬儀も出来ないから炉前経(火葬場の窯の前でお経だけ上げる)だけで済ます簡単なものだったのだが、炉の前に運ばれてきた棺と一緒に親族らしいご夫婦が一緒に来られた。ところが、その人の顔に全く見え覚えがなく、炉の前に書いてある名前も檀徒さんのものではなかったので、火葬場の方に、「ちょっと、顔を見せてください」と依頼したところ、「ご親族には確認済です」と言われた。でも気になるので、「悪いけど蓋を開けて」と頼んだら、しぶしぶ棺の蓋を開けてもらえたそうだ。すると、全く知らない人だった。
同行した葬儀社に問いただすと、その日に通夜を行う死体と間違ったという事で、大慌てで交換されたそうだ。(火葬場と式場が隣接している会館)一緒に同行したご夫婦も、「今夜が通夜なのに、なぜ火葬場に運ばれるのか不思議に思ったそうだ」。
菩提寺の住職が、故人を知っていたからよかったものの、葬儀社に依頼されて一見客のように扱う僧侶だったら、故人の顔も知らないだろうし、喪主にしても、葬儀をしてもらうために初めて会う僧侶だから、今回のようなトラブルは防ぎようがない。ちょっと間違えば、死体の取り違えで、通夜や葬儀の前に火葬してしまうところだったと話されていた。
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このような事態が、これからどんどんと増えて来るに違いない。
葬儀=商売として捉えている葬儀社の乱立。葬儀=業務として儀式をないがしろにする葬儀社の乱立。
間違って自分の身内が、火葬されないように確認が必要になって来た。
かねてより当ブログで、葬儀に関して多くの記事を書いてきました。ですが個人のブログでは、下手をすると相手への誹誹謗中傷にもなりかねないので、実際に私自身が見聞きした事だけを書いてきました。今回、ご紹介する記事について、私は数年前から把握していました。しかし、上記に記したように、証拠がなければ相手への誹謗中傷にでしかありません。それを考え、ブログで記事にするのはやめていました。しかし、この記事がネット上に流れた事で内容を紹介する事にしました。
普通、世間では、TVCMを出すほどの会社だからと人は信用するものです。また、会社側もある面、信用を得る為に広告を出すのではないかと思います。しかし、葬儀業界は大手であればあるほど信用出来ない業種といえます。大手葬儀社の葬儀は、互助会員の葬儀が大半を占めているのが現状です。その互助会のシステムが、内部告発により暴かれています。この記事を読まれ、どのように考えられるのか?私は、今後互助会に入会する方が少しでも減るように記事をアップ致します。
http://www.geocities.jp/gj6yffj65/
7~8年前、実態を知った私は、せめて当山檀信徒だけでも互助会の罠にかからないように「寺葬」を整備した次第です。
広宣寺が提案する葬儀 http://www.kousennji.jp/sougi.html
今日午前9時15分から葬儀式を厳修した。
式前の打合せを司会者としたやりとりの中で、最近、大手葬儀社の葬儀件数が減少しているのではないか?という話しになった。時間に余裕がある時、たまにこうして、現場で従事されている方と話しをする。会話から、いわば最も新しい情報を得る事が出来る。冒頭の件は、私も感じていた事で、実際、司会業は派遣が殆どだ。その仕事が減って来ているという事だった。転職も考えないといけなくなっていると聞き驚いた。しかし、話しによると何処の火葬場もほぼ毎日いっぱいだという事だ。葬儀が減っているが、火葬は通常通りあることは、いよいよ、葬儀の流れが直葬にシフトして来た事が考えられる。
この直葬だが、人によって受け止め方は違うものの総じて後悔の念が残るとも聞いている。葬儀に従事する人達から、直葬はやめて欲しい。という話しを良く聞く。彼等もまた直葬が異常な行為だと感じている事にほかならないのかもしれない。
太古の昔より、弔うという事は人間として生きた証しだとされて来たと思う。やがて物質文明になり、お金とモノが手に入れば幸せだということを植え付けられて来たのではないか?それよりも精神的充実感を得られなければ幸せと思えない。
葬儀もまた商売として成り立つものではないと思う。ある面、直葬の増加は、今だに葬儀を商売として考えている葬儀社への抵抗なのかもしれない。
昨日早朝、「主人が亡くなりました」と訃報が入った。故人は、檀家という括りに属さない方。「葬儀は、主人が家族葬でして欲しい。と生前に申していました」という事だった。奥さんの年齢(80代中盤)を考えると、主人が妻に葬儀の心労を少しでも減らしたいという配慮だったと思う。
十数年前、葬儀社が「密葬」の代用用語として考え出した「家族葬」というネーミング。
いざ、葬儀を出す段になると喪主は、その定義に戸惑いを憶える。少し前では会葬者を減らし家族・親族だけで執り行う意味合いがほとんどだったが、今では「家族葬」=「葬儀費用が安い」と変化していっている。葬儀社のうたい文句にのり、家族葬を出したものの葬儀社が広告で出していた値段とはかけ離れた請求が来る事が、今でも多々ある。
日蓮大聖人は御遺文の中で「臨終の事をまずなろうて候べし。後に他事を習ろうべし」とおっしゃっている。
瀧本光静上人の解説では。
= まず先を定めよ。
逆算して今を生きよ = 日蓮
今さえ良ければ。
も悪くないけれど、それは
「今が楽しくって良い状態」
の時だけ通用する価値観。
「臨終」終わりに臨むこと。いつか迎える時の為に今と、自分の最期を考えないとならないと思います。