毎月月例法要後、僅か10分弱の法話をしている。
良く聴いてくれる人、聴いているかどうかわからない人、聴きたくない人、聴かない人の区別ができる。聴いている側はわからないと思うが、話す側にはその姿勢は良くわかるのだ。なぜなら絶対数が聴く側なので、話す側の気持ちを理解することは不可能だからだ。
聞くと聴くの違いは何だろう?
聞くは、音声のみを聞いている。
聴くは、耳で聴き、目で聴き、心で聴く。相手の方の聖なる語りを聴く。
聞くではなく、聴く姿勢で法話を聴いて頂ければな。それには、法話の内容をより良いものにしなければならない。