BONZEブログ

四十九日と人間のバイオリズム(その四)

人が、「さぁ! やるぞ!」と物事を始めて四、五十日で「消耗現象」が起こる実例を前回のブログから紹介して来ました。

さて、そもそも四十九日とは何ぞや? ?である。

これは、近親者(親子、夫婦、子供)の死を経験した方は、理解できると思います。心の動き、心の安定が四十九日までと四十九日後では随分違いがあります。簡単に説明すると、近親者が亡くなった直後は、誰しも心が不安定になり軽いパニック症候群に陥る感じがします。その状況で通夜、葬儀を終え普段の生活に戻るわけですが、近親者は、ここで少しパニック症候群から脱して空虚感を感じる事もあります。以前は、これから二七日、三七日・・・と、四十九日まで七日ごとに僧侶を招き親族が集まって法要をしていました。

最近は、この七日ごとの法要は忘れ去られつつあります。しかし、近親者にとっては、心の安定を取り戻したわけではなく、四十九日が終わるまではなんとなく落ち着かない状態が続いています。心の不安定さを忘れる為に、葬儀等でお世話になった方への挨拶回りや香典返しの作業があるのかもしれません。ですが、最近は香典を受け取らない事が多々あります。まして家族葬と呼ばれる親族だけの葬儀も増え。葬儀後の忙しさも無くなりつつあります。

こうして本来あるべきものだった「喪の作業」も葬儀と同じく簡素化されて行く事により、人はカタチとしての「弔う」事をしなくりつつあります。よく世間では「気持ちがあれば」と云うのですが、カタチが無ければ気持ちも入らないと思うのは私だけでしようか?

「喪の作業」をしなくとも、四、五十日目で「消耗現象」は、訪れるでしよう。しかし、「喪の作業」を行っていたなら四十九日法要を勤める事で故人の成仏を願い、その先の世界に心静かに故人を見送る事が出来ます。かたや、「喪の作業」を行っていない場合、四十九日目に「消耗現象」が起こり、精神的安堵感につつまれる機会を逃し、ただただ疲れがだけが残る事になるのかもしれません。

人が本来備わっている「逆境に打ち勝つ、リセットする」バイオリズムと、葬儀や四十九日法要の関係性があるともいえますね。

四十九日と人間のバイオリズム(その3)

精神科医の先生も震災を経験した一人だった。阪神淡路大震災では、不眠不休で頑張っていた人達が、ほんとうに四十八、九日で欲も得もなしにぶっ倒れてこんこんと眠った。私もだった。そして、その一週間前ぐらいから、自己激励も限度に近づいている事を私は自覚していた。ただ、四、五十日目までにやるべきことはやってしまわねばならない事を頭に置いていたのは良かったと思う。

四十九日と人間のバイオリズム(その2)

まだまだ続きます・・・

先生の書かれた記事によると、患者さんが社会復帰してから、やはり仕事に向かない、とか、まだ早かったとか言い出すのは四、五十日目である。

患者だけではなかろう。新入生も、新婚夫婦も、四、五十日目に消耗現象を味わっているのではなかろうか。戦後、「五月の連休」というものが出来たことは、復興と高度成長に役立っていないか。一週間も休んで気分転換したら随分回復するからである。

四十九日忌と人間のバイオリズム

話しは、昨日続きになります。

先生の書かれた記事によると、第二次世界大戦では、特に米軍とナチスドイツ軍はこまめに三、四週間ごとに兵隊を後方に送り返し休養させるようになった。ドイツのように陸続きの場合は鉄道で、ベトナム戦争では米軍はヘリを使った。かたや、日本軍は、このことを知らなかったのか?、知っていても精神主義でわが軍は別だとしたのか?、島を守っていることが多かったから、したくても出来なかったのか? 先生は、「軍事精神医学」という本でこの事実を知った。

その目で見るかもしれませんが、「さあ、やるぞ。」と何かをはじめてから、スタミナが尽きるまで、四、五十日であるというのは、いろんな場面にあてはまる。

満中陰法要

本日11時より、師父上人満中陰法要を導師円通寺様、式衆安穏寺様、壽光寺鈴木上人の元、滞り無く厳修致しました。

親族をはじめ、多くの檀信徒の皆様の参列を頂き、誠にありがとうございました。師父上人も喜んでくれた事と思います。

さて、話は昨日の続きです。「人の集中力は50日が限界」

精神科医の先生が書かれた文章の中で、第一次世界大戦で発見された事である。この戦争は塹壕戦であって、数百メートルへだてて打ち合う事が多かった。その中でベテラン下士官。すなわち「戦争のプロ」が、普段の訓練はどこえやら、えいどうにでもなれと武器を捨て、わざと身を敵にさらす。という事件が起こった。

これは「戦闘消耗」と名付けられたそうだ。それは、前線に着いてから四、五十日目であった。

明日は満中陰法要

明日19日は、昨年12月2日に遷化した先代住職の満中陰法要を厳修する。

一般的に満中陰=四十九日は、死者が「中有」を歩き通して霊山浄土に入るまでの期間であると言われている。

七日ごとに行う供養は、一週間ごとに会う大王の前で裁きを受ける。その時、生きている我々が供養の読経・唱題を唱え少しでも死者の罪障が消滅出来るように「応援」している事になる。しかし、これだけ科学が進むと、その話しが本当なのか? ?やはり、疑いたくなる事も事実であり、全くもって、そんな事を信じない人も多い世の中になっていると思う。だが、精神科医が書いた記事の中に面白い内容の記事があった。

人が「さぁ! やるぞ。と何かをはじめてから、スタミナが尽きるまで、四、五十日である」という話し。

多くの実例があり、次回のブログで紹介する予定だ。

荒行堂へ

千葉県市川市中山にある日蓮宗遠壽院で、毎年11月1日?2月10日までの百日間。大荒行が行われている。暁天午前3時から6時、9時、12時、15時、18時、23時の一日七回の水行。それ以外の時間は中堂と呼ばれる読経堂にて読経三昧の一日。食事は午前5時、17時の一日二回のお粥と味噌汁のみ。もちろんいったん入行すると2月10日を迎えるまで一切、外に出ることが出来ない。

入行から35日間の自行と呼ばれる行期間を過ぎると、5分間の面会が許される。

入行している行僧と会える唯一の時間だ。私は、毎年面会に行っている。今年は従兄弟弟子関係にあたる僧侶が入行している。その彼の師父上人、檀信徒と共に面会をした。

まだ年齢が若い事もあって、元気そうでなによりだった。

2月10日の出行まで、あとわずか・・・最後まで怪我・病気をせずに元気で出行して欲しい。

初講のお手伝い

今日は朝から近隣寺院の初講のお手伝いに行って参りました。

毎年、年初めに開催される「初講」は、今年一年、檀信徒の皆様が無事息災延命であるようにご祈祷を致す行事です。

今回も沢山の檀信徒の皆様が参列され、我々の修法加持を受けられました。

メジャーな神社仏閣の厄よけ祈願だけではなく、このように地域に根ざす日蓮宗寺院も、ご祈願等の行事を行っています。

寒中お見舞い申し上げます。

寒中お見舞い申し上げます。

本年もどうぞよろしくお願い致します。

昨年12月2日先代住職である師父龍明院日政(長谷川鳳晃)上人が、遷化(逝去)致しました。世壽79歳。

12月5日広宣寺本堂に於いて葬儀式を厳修致しました。ご寺院様を始め檀信徒、有縁の多くの皆様にご会葬頂きました。有難うございました。

早くも年明け1月19日満中陰を迎えます。最近、少しずつですが落ち着きを取り戻して来ましたので、ようやくブログの更新が出来る時間が出来ました。

今年は、頑張って更新して行く予定です。

どうぞ、よろしくお願い致します。

全国声明師研修会

11/25?26? 新潟県に於いて全国声明師連合会主催「声明師研修会」が開催された。

全国から約100名近い声明師が集まった。

11/25 午後2時からの研修に間に合うよう、大阪伊丹空港より飛行機で新潟に飛んだ。過去、新潟は訪れた事はなく厳しい研修に参加する事ではあるが、現実から離れる一泊二日のショートトリップの意味合いもあるかもしれない。。飛行機を使えば大阪から1時間で到着。機内から見た風景は、さすが米どころ。田園の占める割合が多かった。

研修会一日目は、午後2時?5時まで行われた。夜は、参加者全員で懇親をはかった。二日目は、午前9時から11時まで研修が行われた。研修の中で、実際に声明を唱えるのだが、今年、声明師に任命された皆さんのレベルが高い。負けずに頑張るが、これがまたなかなか難しく、声明は習練を必要とするからだ。日々、声明師として自覚を保ち勤行、法要のひとつひとつを大切に勤める事が必要だ。研修会に出席すると、また新たな気持ちが沸いてくる。

帰路は、少し新潟の街を巡り(ご当地グルメのイタリアンを食した)機上の人に。

19時過ぎに自宅に到着した。