夕日
今日の夕方・・・西の空は赤と青のコントラストが鮮明だった。
法式研修会に参加
6月21日 京都日蓮宗声明師会主催「法式研修会」に参加した。参加者は青年僧が多く、未来の宗門に期待が持てた。
研修は、法要を勤める際の法式全般細かい所作まで記述されている宗門から発行された「宗定法要式」というテキストに則って確認して行った。
理解していたようで少し違っていた項目、更に研鑽が必要とされた項目など確認する事が出来た。定期的に、このような研修が開かれている京都の宗門僧侶は自ずとレベルが高い。錆びて行く自分への戒めの為に今後も研修会に参加していくつもりだ。
久々の京都
昨夜は、久しぶりに京都四条へ出かけた。夜遊びに行った訳ではなく、友人で医師のM氏との会食だ。M氏とは、かれこれ8年以上の付き合いで、様々な面でアドバイスを頂く良きパートナーでもある。今回、会食に誘ったのは彼に頼み事があったからだ。その頼みごとは、医療面で知識と経験豊富な彼に、私の寺で講演をお願いしたかったからだ。当初、多忙な彼なので、到底無理な事と思っていたが、会食が始まった直後に講演のお願いをしたところ快諾を頂いた。
講演日は8月16日。広宣寺の「盂蘭盆施餓鬼会法要」の中で講演をして頂く。内容は、これから相談して行くが、プロジェクターを使用し、よりリアルな画像と共に話しを進めて行ってくれるようだ。いつもは、お説教なのだが、それとはまた違った話しに壇信徒の皆さんはどう反応してくれるだろうか?
「生き残れるか仏教?」
今日、奈良県橿原市で開催された「第四十回 日蓮宗近畿教区教化研究会議」に参加した。
研究会議は、午前の部 基調講演「生き残れるか仏教 ?(現代社会が求めるもの)」上田紀行氏(文化人類学者 東京工業大学大学院准教授)。午後の部 分散会+全体会議の二部構成。午前10時〜16時までと長丁場の研修会だった。
「逆布教」「あんた達僧侶がいるから仏教は衰退するんだ」という言葉が、壇上の上田先生よりビシビシと発せられる。世間の人の9割は仏教に対して興味がある、しかし、こと僧侶に関しては1割の人からしか興味を持たれていないそうだ。確かにそうだと思う。我々、僧侶に対する世間のイメージは「坊主丸儲け」が大半であり、その信頼は地に落ちている。私自身、衣を脱ぎ、素の自分自身を世間にさらけ出して来た。衣を着けていなくても僧侶としての自覚を持ち続ける事が出来るものなのか? 衣を着けていない私と相対した人は僧侶と見てくれるのか? ?素の自分を信頼してもらう事が出来ないならば僧侶失格ではないのか? ?と未だ自問自答している。
当然の如く僧侶に対する批判は私にも浴びせられる事は多々あった。
寺を維持する事を主体とした宗教活動も大事ではあるが、世間と相対し公益性を持った宗教活動を展開して行く事が出来るのかが、今後の焦点となってくるだろう。近い将来にはお寺も自然淘汰されていく事になるそうだ。
「寺犬」修行中2
「待て!」「来い!」「つけ!」
と、ドックトレーナーの号令が「寺犬」サラに容赦なく浴びせられる。生後9か月の子犬には、号令が理解出来ないのか? 右往左往する場面も多いです。
トレーナーさんの話しでは、犬は人間の気持を良く理解していて、従順そうに振る舞うがそこに落とし穴があるそうです。犬にしてみれば、餌が欲しい時、散歩がしたい時、遊んで欲しい時と犬なりに様々な欲求があります。人のように理性が無いだけに、思い立ったら直ぐストレートに感情を出します。時には、これがまた、せつない声で泣いたりするものだから、飼い主としては「ヨシヨシ」となって、犬の欲求に答えてしまいます。これがいけない・・・その後、犬は、そのアクションを起こすと飼い主が自分の思いのままになる事を記憶してしまいます。こうなると犬を飼っている期間中、際限なく犬の欲求に答えなければならなくなります。
そこで、「しつけ」が必要になってきます。
さてさて・・・
週二回の修行をかかさずおこなっている「寺犬」サラですが。ブリーダーさんから連れて帰った直後から具合が悪く。1日5〜8回の下痢が5か月間続きました。以前からお世話になっている獣医さんに毎週通院し診察、投薬をしながら原因を探ってもらいましたが、原因は特定されませんでした。私達としても、行き詰まった状況になっててしまい。それを打破するうえで、まだ具合が悪い状況だった4月終わり頃からトレーナーさんにお願いして訓練を始めました。訓練最初の段階では、下痢による衰弱もあり弱々しい足取りでした。その後、診察、投薬は続けましたが下痢は止まらず、獣医さんもお手上げ状態になり、その事をトレーナーさんに相談したところ近隣の獣医さんを紹介して貰いました。紹介された獣医さんに診察して貰ったところ先生から「ともかく下痢を止める事が先決。このままだと餓死してしまいます」先生と治療方針をたて新たに投薬と食事療法を始めたところ、あれほど続いた下痢が止まり、その後は順調に体重も増加しはじめました。
そんなこんなで・・・
トレーナーさんの叱咤激励? ?の中、「寺犬」サラの修行は続きます。
「寺犬」修行中1
「寺犬」 沙羅(サラ)以下サラ。イタリアングレイハウンド♀9か月。
ただいま修行(しつけ)の真っ最中。「寺犬」命名の由来というほどのこともないですが、人間の子供のように元気で将来こんな人になって欲しい。という事も犬の命名の場合は考えなくても良いので気が楽ともいえます。以前飼っていた犬の名が「アガサ」同居猫は「ポアロ」でした。命名の由来は、作家アガサクリスティーのアガサから。「名探偵ポアロ」のポアロからです。
犬の命名に関しては、飼い主さんのセンスが問われる? ところでもあります。ですが、私が思うにいくら良い名前をつけたとしても犬に命令する際、「アガサ」なら「アーチャン」と呼んでしまいます。そんな事から今度飼う犬の名前は、命令する事を踏まえて二文字にする事にしました。
「アガサ」「ポアロ」は、結婚直前に飼いだし妻が命名。二匹とも18歳で寿命をまっとうしました。その20年後二代目「寺犬」サラが来ました。在家(一般家庭)から寺に嫁いだ妻も寺での生活20年。仏教について勉強もし、サラという命名は、妻が沙羅双樹の沙羅からとりました。
沙羅双樹とは「インド、クシナガラ城外、娑羅の林の中、釈迦の病床の四方に二本ずつ相対して生えていたという娑羅の木。釈迦が入滅した時、鶴のように白く枯れ変じたという。沙羅。」
仏前結婚式
昨日、日頃から縁有るお寺のご子息の、仏前結婚式のお手伝いに行って来ました。
仏前結婚式は、式長(式を司る僧侶)、式鑑(式の司会・進行をする僧侶)、役僧のもと厳修されます。
新郎新婦は、ご本尊の御前(みまえ)にて夫婦の契りを結ぶと同時に仏様と契りを結ぶ儀式。
私は式鑑の大役を仰せつかり、前日のリハーサルから役僧さんと念入りに打ち合わせ。
その甲斐あって、厳かな仏前結婚式を無事終える事が出来ました。
これからの新しい二人の門出に立ち会え、幸せのお裾分けを頂いた一日でした。
いろんな場合がありますね。
昨夜、葬儀の依頼があった。電話は先代が受けた事で相手方と葬儀時間の打ち合わせもせず相手の指定する予定で引き受けてしまった。急遽、4日に行う法事の予定変更を無理言ってお願いし調整を行った。
昨日の今日で午後6時半から通夜。
今日午後、突然喪主側の親戚が来寺。来寺目的は葬儀のお布施のこと。
相手方の諸々事情を聞く。事情は良く理解できる。突然の事と相手は言うが亡くなった方は90才を超えていた。いつも思うのだが、事前に葬儀の事を考えておらずその場になってあたふたするもの。葬儀社に支払う葬儀費用については交渉せず、お布施を相談に来る。今回の場合、先に寺側と葬儀日程の調整をせず独断で日程を決めてきた。これにより葬儀後、初七日の時間と法事の時間が重なってしまう。その為、もう一名お上人を役僧としてお願いしておいた事。また今回使用する会館側に費用を下げられ方法がある事を話したが受け入れられず。
今日来られた方から見れば私なんぞは息子の年代。たかだか坊さんという事だけで「こんな若造に舐められるか」的な雰囲気だった。最終的には寺側が悪いとなる。こんな事態になる相談なら来て欲しくない。
結局、お互い良い印象を持つ事が出来ず話は終わった。
以前、お父さんが寝たきりで何時何時亡くなるかもしれない。という事で葬儀に関して相談に来られた30歳の方がいた。この方も葬儀のお布施について悩んでられた。
話としてはそれよりも先に現在の葬儀の流れをどの程度ご存知なのかを尋ねた。そこから葬儀の流れと必要な経費等を説明し、どこをどうすれば葬儀費用を削減できるかを説明した。彼は、とても良く理解してくれ、葬儀のお布施については心配いらない事を明確に話し安心して貰った。本当の意味での相談とはこのような事だと思う。
「寺」ライブ!!
昨日、「ヒマラヤ ヒーリングミュージック」ライブを本堂に於いて開催しました。
50人を越える観客が本堂内にぎっしりと入りネパール人奏者ラマ兄弟の演奏に聞き入りました。
ラマ兄弟が奏でる音楽は、故郷ネパールで古来より使われている笛と太鼓。その種類は楽曲によって使い分けが出来る程種類が数多くある。今回のライブでも笛8、太鼓4を楽曲によって使い分け演奏していた。笛の音色は、今迄耳にした事がない高音のモノから鳥のさえずりを奏でるモノまであり透き通った音色はネパールの地を想像させるものでした。太鼓は中型の太鼓と小型の太鼓があり、これもまた独特の製造法で作られた太鼓。バチを一切使用せず素手で音を奏でます。左右の手の微妙な叩き方をバランスさせ低音から高音を奏でるリズムだけを聞いているとあたかもドラムを叩いているかのように錯覚するほどでした。バチを使わない素手で叩く音色はお腹の底に響く力強さと共に優しさを感じました。
途中パンチヤさんの軽快なトークを挟み二時間のライブは、あっという間に終わりました。
ラマ兄弟は、日本全国を演奏行脚し、その興行収益で生まれ育った故郷に学校を建設。内戦により両親を失った子供達30数人を学校に住まわせライブで得た興行収入を彼等の生活費として現在も支援し続けている。今回の「寺」ライブが、ラマ兄弟の支援の一助となった事で我々も大きな功徳を積ませて頂きました。チャンスがあれば「寺」ライブを開催したいと思います。