BONZEブログ

そりゃ高いわ!?

週末、不要品を回収して貰おうと不要品を専門に扱う業者さんを頼んだ。

その会社のHP上では「見積もり→値段が折合えば引き取り回収→折合いがつかなければ断る事も出来る」と明示されていた。土曜日午前9時神戸ナンバーの軽トラックが到着。不要品を確認して見積もりへ。不要品の量から考え業者さんは乗って来た軽トラ一台分で考えてはどうかと勧めてくれた。そうすれば他に不要品があればそれも回収出来る。との誘い文句。何はともあれ、軽トラ一台分の見積もりを聞くと・・・なんと!? 198,000円也。税込だと20万円オーバーとなる。そりゃ、いくらなんでも高すぎるよ。だったら、不要品の量を減らす話しをしたら、業者さんから「不要品の量を半分にして貰えれば75,000円で」という返事。それでも高いので、もう一歩交渉し商談成立。

翌日、高校時代の友人が副業で不要品リサイクルの仕事をしていると聞き彼に相談。彼曰く「軽トラ一台10万なんて事はないから心配しないで」と心強い返事。ちなみに聞いてみたら軽トラ一台数万円。今回、値段交渉成立額より安かった。そんなものですね・・・

これと良く似た事例が葬儀だと思います。何時来るか誰にもわからない死の為に、なかなか人は事前準備を行わない。ですが、今回の件もそうですが、急を要しない場合であれば値段交渉が出来たり又断わる判断も出来ます。しかし、これが遺品整理だとかだと、わざわざ時間を作って整理に当たる為、ここで断れば次の予定が立たない事もあり業者の言う値段になるのでしよう。葬儀もしかり、亡くなって直ぐに通夜・葬儀。まして葬儀を出した経験が無い方がほとんど。葬儀社のいいなりになり多額の葬儀代金を支払う羽目になるのと同じ事だと思った。

困ったものだ3

4/1防犯カメラ設置工事を行う。

その際工務店担当者より、近所の顧客宅で聞いた話として「広宣寺に亡くなったペットの死骸を門前においておくと火葬してくれる」その話しの出所がダスキン販売員の女性という事だった。その女性が話した事が、その地域でまたたくまに拡大したのではないか? まさに「口は災いのもと」だ。

事実確認の為、ダスキン本社ルートマネージャーに連絡を取る。

その後、アポ無しで当事者(販売員)が来寺。当事者曰く「一軒に話しをした」と。その場から営業所に連絡をさせ当事者が直接来た事を抗議。ただでさえ感情的になっていたので、詳細を聞く事はせず帰ってもらった。翌日、本社「お客様相談室」に連絡。その後、相談室室長より連絡があり「ダスキン製品に関しての事項ではない、非正規雇用者なので当事者間での問題」という説明を受けた。

販売員が言う「一軒に話した」とされる内容については不明。突然来られて当事者間で話をしたところで水掛け論にしかならない。それもあり会社側と話しをすることで事実を究明したいと考えたのだ。だが、それも叶う事なく。時間だけが経過している。

広宣寺では、動物合祀墓への納骨を下記の手順で行っています。

1 共に過ごしたペットが亡くなった。

2 広宣寺に連絡(納骨法要の日時を相談)

3 ◎ペットが既に火葬されている場合は、納骨法要日時決定後お骨を持って来て頂き法要後立会い納骨。

 ◎ペットが火葬されていない場合は、火葬業者をご紹介致します。火葬日時を決めて頂き訪問火葬(移動火葬者)。お骨を収骨し本堂にて法要後立会い納骨。

?

困ったものだ2

CIMG0147

今回の困った事は当寺に関する事です。

昨年12月初旬門前にダンボール箱に入れられた「文鳥の死骸」が置かれていました。これは、当寺に動物合祀墓があるので飼っていた文鳥が亡くなり仕方なしに置いていったのではないかと思いました。その死骸をペット火葬業者の手で火葬してもらいました。今年に入り3月20日に今度は黒い化粧箱に入った鳥の死骸が門前に置かれていました。3か月間に二度、このような事があるとさすがに困りました。ただ、この二件放置に共通したポイントがありました。それは、死骸を入れていた箱に「南無妙法蓮華経」と当事者が書いたであろうお題目が書かれていました。この事から想像するに、ある集まりの中で最初に死骸を放置した人物が「寺が死骸を処理してくれた。」という事を話した。それを聞いた人間が同じように死骸を放置したのではないか? しかし、これはあくまでも想像なので、こちらとしてはどうする事も出来なかった。

今後、このような放置がなくなるよう苦肉の策として、寺観にそぐわないが「防犯カメラ」を設置した。

しかし、この防犯カメラを設置した事で事態は思わぬ方向へ・・・

困ったものだ。

昨日お参りにに行った檀家さん宅で、近隣にお住まいの友人から「広宣寺さんに仏壇前でお経を上げて欲しい」と頼まれていると聞かされました。

依頼理由を尋ねると、最近セレマで祖母の葬儀を出した。数年前祖父の葬儀は私の師僧である父が導師を務めたそうだ。今回も私の寺に依頼したかったが名刺が見つからず寺院名を思い出せなかったという事だ。また家族葬にした関係で隣人である当寺檀家さんにも聞きづらかったとの事だった。

葬儀の時は誰しも焦っているので、仕方なしに葬儀担当者からすすめられた僧侶に葬儀導師を依頼する事になった。僧侶との打ち合わせ時に葬儀布施の相談になったところかなり高額な布施を請求されたそうだ。その時点では広宣寺の名前を思い出していたので「以前、葬儀をお願いした広宣寺さんの布施はこれだけだった」と話したところ「それじゃ、広宣寺さんと同額にマケてあげます」と言われたそうだ。お布施をマケルって・・・と、その時点でうさんくささを感じられたが時すでに遅し。

通夜終了後、その方の実妹さんが「おばあちゃんの事を思い、東京から駆けつけてきたけど、あのお坊さんのお経を聞いているとありがたさは全くなく、むしろ聞いていると笑いがこみあげてきた」と話していたようだ。それほどまでお経が下手という事だったらしい。素人に下手と思われてしまうお経をあげるとは・・・

葬儀終了後、七日ごとのお参りに来てもらっていたようだが四十九日時に他寺院に遺骨は納骨。新しく作った位牌は東京の本家仏壇に5月に入れるという事になり東京に位牌を持っていく前に

本来のお経をあげてあげたい。との思いから檀家さんを通じ私に依頼があったということだ。

高額な布施の要求に関しては、葬儀担当者(おそらくバイト)と僧侶との間に約束事があるのだろう。それは葬儀布施総額の20%?50%を担当者にキックバックすると思われる。僧侶からキックバックされた現金は担当者の小遣いになる。それに関して会社は黙認しているのだろう。

このようなカタチで葬儀費用が高額になる事を考えると、いかに事前準備が必要だという事ではないのだろうか。

お彼岸

「暑さ寒さも彼岸まで」

今日から、24日までの一週間を「仏道修行」を実践する仏教週間であります。

お彼岸の意味は「迷いの世界(此岸・しがん)から悟りの世界(彼岸・ひがん)へ到る」という事です。それでは、迷いの世界とは?? お釈迦様は「人生は苦である」と言っています。苦とは単に「つらい」「苦しい」という事ではなく、思い通りにならない現実と、思い通りにしたいという自分の欲求に板ばさみになる苦しみです。そこでお釈迦様は「現実を冷静に見つめることで、自分の思い通りにしたいという執着がなくなれば、やすらかな気持ちになれる」という真理に至られました。仏教の教えは「死者のため」ではなく「生きているもの」への教えです。お釈迦様が説かれた真理の実践が六波羅蜜の修行であります。六波羅蜜は、1 布施(人に施すこと)2 持戒(戒をたもって生きること)3忍辱(耐え忍ぶこと)4精進(努力すること)5禅定(心を落ち着けること)6智慧(以上の実践により物事の道理を知ること)お彼岸の間、お墓参りをするだけではなく日々の生活の中で六波羅蜜の修行をあてはめていただきたいと思います。

研修会に参加して来ました

昨日、大阪市声明師会研修会に参加して来ました。この研修会は、「仏.法.僧」三宝の信仰を具現するために。というテーマで三年間(年に一度開催)に渡り、立正大学教授 北川前肇(きたがわ ぜんちょう)先生を講師に迎え三年目の最後の講義が開催されました。

講師の北川先生とは、立正大学在学中から公私共にお世話になった恩師で、教学はもとより、人生のなんたるか? 人生の歩みを教えて頂いた「人生の師」です。30年経った今でも、先生の前では緊張し、今の自分が歩んでいる人生が間違っていないか?自問自答します。

講義は、90分×2の180分講義と長時間に及びましたが、先生の熱い講義に参加者は引き込まれ真剣に受講されていました。先生の講義は、簡潔・明瞭にてとてもわかりやすく、他の先生との違いは講義に対する真剣さが違います。まるで真剣を抜いた相手と対峙する感じです。それとは正反対ですが、未だ理解できない我々に慈愛に満ちた接し方をされます。

あっという間の180分でしたが、また自分の糧になりました。

北川先生ありがとうございました。

回答来ませんね。

前回のブログで書いた「今回の件に関しての回答書」は、未だ送られて来ず。

このまま無視という事ですね。こんな企業が存続できる葬儀業界とは・・・今後、セレマのような悪徳業者は淘汰される時が来るでしよう。

今回は、少し互助会について書いてみたいと思います。

「互助会に入り、毎月一定額を支払う事で葬儀が出せる」という事で勧誘する互助会営業。セレマは、葬儀担当者が葬儀後に互助会へ勧誘していました。これは、葬儀担当者の手抜きを防ぐ事と担当者の給料が喪主が互助会に入会した時点で発生するからです。したがって担当者は喪主に気に入られるように動く事になります。なので、葬儀後、互助会の入会又は継続を断ると担当者にとっては死活問題となります。元セレマ従業員から聞いた話では、一時、全く互助会の入会が無く、給料をもらうどころか、給料がマイナスに転じ4万円をセレマに支払った事があったそうだ。

昨年、やはり互助会に入っていた檀家さんの葬儀をセレマで行った。葬儀後、喪主から聞いた話では、葬儀代金が300万を超えた事で互助会が何の役にも立たない事がわかったので、互助会への継続入会を断った。その際、担当者の口から出た言葉が「お宅の葬式が、1月3日にあったもんやから、私ら正月休みなしで仕事をしたのに、互助会に入ってもらわんと、私らタダ働きや。」と言ってのけました。これに喪主が激怒し、すぐさま支払いを終え追い返したという事を聞きました。

互助会の問題点

1? 強引な積み立て勧誘

2 解約を渋り、解約を要求杞憂すると法定外の高額な手数料を請求しおどす。

3 葬儀時、掛け金の数倍の費用請求

4 掛け金(預かり金)の大半は、葬儀会館の建設費用、歩合の支払い等運転資  金に流用。

5 今後互助会の倒産場合掛け金の50%保全処置が適応されなくなるかもしれない。現時点では倒産した場合掛け金の50%保全される。しかし、残り50%は互助会側が自由に運用可能。

これでもまだ、貴方は互助会に入会しますか?

企業体質なのか?

2月18日檀家さんのおばあさんがお亡くなり、セレマ高槻ホールで葬儀を執り行う事になった。以前、ブログで紹介した「http://advice.or.jp/blog/2010/02/post-1384.html」この件があった後だけに、私としてもセレマに対してナーバスになっていた。枕経を終え、檀家さんと通夜並び葬儀日程を決め。私からセレマに改めて葬儀依頼をした。改めてというのは、亡くなったおばあさんが生前、セレマの互助会に入っていたからだった。その関係で病院からの遺体搬送はセレマが行っている。彼等にとっては葬儀の受注を受けたものという認識なのだ。しかし、正式に受注しない限り、この時点で遺体搬送料を支払えばセレマが葬儀を受注する事も出来なくなる。だが、そこに互助会という、取りこぼし無く葬儀を受注する仕組みが出来上がっているのだ。その流れが当然では無いという事で敢えて寺側から葬儀依頼をしたという訳だ。

葬儀依頼後、骨壺の大きさを確認すると六寸という事。それでは私が勧めている全骨収骨が出来ない。骨壺を6寸から8寸に変更するよう担当者に依頼。担当者が喪主にその件を知らせ、喪主から私の元へ連絡があり事情説明し喪主は変更に同意。その後、再度、担当者に連絡をし、付属している分骨用骨壺は必要なしと告げる。その際、担当者から寺と葬儀社の主従関係が逆転したような言葉が出たのでその場で注意。その直後、電話を勢いにまかせ切られ、担当者の怒りを確認した。憤慨した私は、すぐさま電話を掛け直し上司を寺へ呼び出し事情説明。その際、例の内容をプリントアウトした書面を見せた。書面を読んだ上司は、一応に驚いた表情であったが、内心どうなのかはわからなかった。上司曰く「これを本社に持ち帰り、会議の席で報告します」という事だった。そうは言うが、本当に自らが担当している会館の恥を本部に報告出来るのか? ?翌日、本社に直接「葬儀のクレーム」として電話を入れた。電話口には役職付を呼び出させ、前日にあった担当者の教育不足を説明し、本題の書面を統括上司のHに渡した事を報告。この提出した書面の内容を速やかに調査し、今後の対応を一週間以内に書面で提出するように依頼した。その後、今日で一週間になるが何の返事も無い。

自分達の都合の悪い事は、全て隠ペイする会社の体質なのだろう。

だから、菩提寺がある事を知りながら担当者の私欲の為に契約している僧侶に葬儀を出させる。互助会に入れば、「これで葬儀が出せる」と詐欺まがいなトークで老人を言葉巧みに勧誘し逃げられない顧客にしてしまう。なるほど・・・週間ダイヤモンドの記事にあった「葬儀社安心度ランキング」で京都府4社中3位、100点満点中52点という成績が物語っている。こんな葬儀社(セレマ)を貴方は使いますか?

寒風の中でのご祈祷会 1

2月11日茨城県筑西市にある大谷寺(だいこくじ)さんの「ご祈祷会」のお手伝いに行ってまいりました。このご祈祷会は、千葉県市川市 遠壽院で毎年11月1日?2月10日の百日間。午前3時、6時、9時、12時、15時、18時、23時の計7回の水行。水行までの時間は読経堂にて妙法蓮華経の読誦が続きます。睡眠時間3時間弱、食事は午前5時、午後5時の2回白粥とみそ汁のみ。この大荒行を終えた各上人達が、大谷寺檀信徒の前で水行を披露し、その身を清めた後に檀信徒に秘妙五段修練加持(ご祈祷)を行った。

各上人の水行姿を見ていると、私も昭和57年、61年、平成6年に入行した荒行を思い出した。