BONZEブログ

お葬式って?VOL2

前回投稿した「お葬式って?VOL1」の中で「家族葬」について触れました。葬儀社さんのアピールの甲斐あってか? ?「家族葬」という呼び名が定着しつつあります。

しかし、どうしてこのような呼び方になったのでしよう? 葬儀は「葬送儀礼式」を略して葬儀と呼び、他に「葬式・葬儀式・お弔い」と一般的に呼ばれています。このような呼称があるにもかかわらず「家族葬」という呼称になったのか?

1990年代、葬儀依頼の中で「密葬」でお願いします。という事がありました。寺側としては「密葬」を行うなら「本葬」は、何時行うのだろう。と考えます。で、「密葬」と呼ばれた葬儀に行ってみると親族のみの少人数で会葬者もいませんでした。前回の記事でも書きましたが、当時はバブル時代。誰しも大きな葬儀を行っていました。しかし、誰でも大きな葬儀を出せる訳ではありません。そんな中、経済的に大きな葬儀を出せず少人数の場合、葬儀社が喪主に対し「密葬」という言葉を誤って使ってしまったからだと思います。

「密葬」は、故人が生前に交際範囲が広く、とても一日や二日では知人・友人に連絡が出来なかったり、参列者を収容出来なかったりする場合には、ある程度の準備期間が必要となります。また、様々な事情で喪主や遺族が間に合わないなど葬儀まで時間を必要とする場合に、家族だけで葬儀を行う事を「密葬」と呼びます。こういう事情から「密葬」には他人は同席しません。その後、遺骨になった状態で「本葬」を行うという事になります。もし、後に本葬が行われなかった場合は、お互いに失礼になってしまいます。

昨今、葬儀社側も葬祭ディレクターという資格を設けた関係か、寺院側から指摘があったのかはわかりませんが、「密葬」という言葉は使われなくなり、家族、親族だけの葬儀を、葬儀社側が「家族葬」と命名したのではないかと思われます。本来、葬儀の大小にかかわらず死者を送る儀式は「葬送儀礼式=葬儀」で良いのではないかと思います。

月例「施餓鬼会法要」

昨日、沢山の壇信徒の皆様と共に、月例「施餓鬼会法要」を本堂で厳修致しました。

「施餓鬼会法要」とは、餓鬼に施しをして、自らの寿命を伸ばすために行う法要です。そのいわれは、お釈迦様の弟子に阿難尊者がいました。ある時、阿難の前に口から火を吐いている餓鬼があらわれ「お前の寿命はあと三日、死んだら餓鬼になる。もし助かりたければ、沢山の餓鬼やバラモン、仙人に一人一石ずつ食べ物を施せ」と言いました。阿南は困ってしまい、お釈迦様におすがりすると「この言葉を唱えて施こしをすると七石ずつの食べ物を施すことになる」と呪文を教えられました。その教えによって阿難は、その後50余年の寿命を授かり、お釈迦様にお仕えすることができたと伝えられています。この説話に基づいて「施餓鬼会法要」が行われるようになりました。

我々が生きて行く為には、 米・野菜・魚・肉等の他の生命を食べて生きています。その分、我々は立派に生きなければ頂いた命を無駄死にさせた事になります。世の中に存在する生命を大切に想い、供養する事で、自分の生命が生きるという事です。「施す心は自分を養うこころ」毎月第一日曜日午前11時より本堂にて皆様と共に施餓鬼会を開催しております。壇信徒以外の方もお参りして頂けます。

葬儀って? VOL1

最近「家族葬」と呼ばれる家族と親戚だけで行われる葬儀が増えて来ました。

昨今、営まれる葬儀の8割くらいが家族葬になっている感も歪めません。以前、葬儀は自宅で出すものでありました。どんなにお家の規模が小さくても自宅で葬儀を出していました。それが、1990年代バブル時期に入ったあたりから葬儀社が急激に業務拡張を行い葬儀会館なるものが出来始めました。当時、葬儀の規模も大きく、会葬者の数も何百人規模でした。後にバブルが崩壊し経済が低迷。核家族化が進み、少子高齢化の時代となった現在では親の死を看取る事も出来ない事情を抱えた方達が増えて来ました。

リーマンショック後、経済は更に低迷し、葬儀は家族葬で行う事が一般的になりつつあります。それは、それで良いのではないかと思います。昔は、村や地域単位で皆が葬儀の手伝いをしていました。90年代で一旦おかしくなったものが、また原点に戻り始めているのかもしれません。

家族葬では、家族・親族と共に供養の心を持って葬儀に臨みやすい環境があります。家族葬にすれば費用面も出費を押さえられるはずなんですが、それがそうでもない現実があります。今や葬儀の大半が葬儀社所有の葬儀会館で営まれます。しかし、葬儀会館の大半はバブル期に建設されたもので、葬儀式場の規模が大きいものがほとんどです。そうしますと、その式場に見合う祭壇は決められている場合が大半で、それを選択するしか方法がありません。

「家族葬」にしたが、費用が高くついた。というのはこういう事情があるからではないか? と思います。

11/29 身延山法要に向けて

昨日は、「日蓮宗声明師連合会結成二十周年記念身延山法要」の練習会に行って来ました。

京都 大本山妙顕寺様で午後1時〜4時まで、当日行われる習礼の確認と練習をしました。

今回の法要は「法華懺法(ほっけせんぼう)」という法要です。

これは、「今我は十方法界と相関する最重要の一人なれば、その一人の懺悔六根清浄は従って尽十方法界を清浄ならしめ

「斯人行世間 ?能滅衆生闇」たる事疑いなし。この斯人とは各自のひとりなり、衆生闇とは世間的な闇なり。世間的闇も罪も

清浄の一人にて能く之を滅すという」ことを覚悟して法要に臨むべし。

過去、経験した事がないくらい法要中の所作(立ち振る舞い)が多いうえ法要時間も長い。

この法要を声明師200人が一同に身延山大本堂に介し厳修致します。

日蓮と法華の名宝

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京都国立博物館で開催されている「日蓮と法華の名宝展」を観て来ました。

日蓮聖人が、正しい法「法華経」を人々の心の中に打ち立てる事によって、国民大衆の安泰をはかれ。と書きあらわせられた「立正安国論」。

今から750年前、警世の書として北条時頼に献呈した。

「立正安国論」奏進750年記念として今回、日蓮聖人がお書きになった(御真筆)「立正安国論」が展示されています。

その他にも、数多くの宝物が展示されており、とても見応えがありました。

当時、京都の町衆の間に広がった「法華経」その町衆文化に大きな影響を与えた。

それを現した展示品の数々も見応えがありました。

是非、足を運んでみられてはいかがでしょう。

開催日 10月10日〜11月23日まで

場所  京都国立博物館

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皆様はじめまして、広宣寺・長谷川鳳秀(以下ホウシュウ)と申します。

この度、広宣寺オフィシャルブログ「Bonze blog」を開設致しました。
「Bonze(ボンズ)=僧侶」すなわち「坊さん日記」です。
日々、生きて行く中での喜怒哀楽等思いのままに綴れる日記と情報発信の場としたいと考えています。

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