四十九日と人間のバイオリズム(その2)
まだまだ続きます・・・
先生の書かれた記事によると、患者さんが社会復帰してから、やはり仕事に向かない、とか、まだ早かったとか言い出すのは四、五十日目である。
患者だけではなかろう。新入生も、新婚夫婦も、四、五十日目に消耗現象を味わっているのではなかろうか。戦後、「五月の連休」というものが出来たことは、復興と高度成長に役立っていないか。一週間も休んで気分転換したら随分回復するからである。
まだまだ続きます・・・
先生の書かれた記事によると、患者さんが社会復帰してから、やはり仕事に向かない、とか、まだ早かったとか言い出すのは四、五十日目である。
患者だけではなかろう。新入生も、新婚夫婦も、四、五十日目に消耗現象を味わっているのではなかろうか。戦後、「五月の連休」というものが出来たことは、復興と高度成長に役立っていないか。一週間も休んで気分転換したら随分回復するからである。
話しは、昨日続きになります。
先生の書かれた記事によると、第二次世界大戦では、特に米軍とナチスドイツ軍はこまめに三、四週間ごとに兵隊を後方に送り返し休養させるようになった。ドイツのように陸続きの場合は鉄道で、ベトナム戦争では米軍はヘリを使った。かたや、日本軍は、このことを知らなかったのか?、知っていても精神主義でわが軍は別だとしたのか?、島を守っていることが多かったから、したくても出来なかったのか? 先生は、「軍事精神医学」という本でこの事実を知った。
その目で見るかもしれませんが、「さあ、やるぞ。」と何かをはじめてから、スタミナが尽きるまで、四、五十日であるというのは、いろんな場面にあてはまる。
本日11時より、師父上人満中陰法要を導師円通寺様、式衆安穏寺様、壽光寺鈴木上人の元、滞り無く厳修致しました。
親族をはじめ、多くの檀信徒の皆様の参列を頂き、誠にありがとうございました。師父上人も喜んでくれた事と思います。
さて、話は昨日の続きです。「人の集中力は50日が限界」
精神科医の先生が書かれた文章の中で、第一次世界大戦で発見された事である。この戦争は塹壕戦であって、数百メートルへだてて打ち合う事が多かった。その中でベテラン下士官。すなわち「戦争のプロ」が、普段の訓練はどこえやら、えいどうにでもなれと武器を捨て、わざと身を敵にさらす。という事件が起こった。
これは「戦闘消耗」と名付けられたそうだ。それは、前線に着いてから四、五十日目であった。
明日19日は、昨年12月2日に遷化した先代住職の満中陰法要を厳修する。
一般的に満中陰=四十九日は、死者が「中有」を歩き通して霊山浄土に入るまでの期間であると言われている。
七日ごとに行う供養は、一週間ごとに会う大王の前で裁きを受ける。その時、生きている我々が供養の読経・唱題を唱え少しでも死者の罪障が消滅出来るように「応援」している事になる。しかし、これだけ科学が進むと、その話しが本当なのか? ?やはり、疑いたくなる事も事実であり、全くもって、そんな事を信じない人も多い世の中になっていると思う。だが、精神科医が書いた記事の中に面白い内容の記事があった。
人が「さぁ! やるぞ。と何かをはじめてから、スタミナが尽きるまで、四、五十日である」という話し。
多くの実例があり、次回のブログで紹介する予定だ。
千葉県市川市中山にある日蓮宗遠壽院で、毎年11月1日?2月10日までの百日間。大荒行が行われている。暁天午前3時から6時、9時、12時、15時、18時、23時の一日七回の水行。それ以外の時間は中堂と呼ばれる読経堂にて読経三昧の一日。食事は午前5時、17時の一日二回のお粥と味噌汁のみ。もちろんいったん入行すると2月10日を迎えるまで一切、外に出ることが出来ない。
入行から35日間の自行と呼ばれる行期間を過ぎると、5分間の面会が許される。
入行している行僧と会える唯一の時間だ。私は、毎年面会に行っている。今年は従兄弟弟子関係にあたる僧侶が入行している。その彼の師父上人、檀信徒と共に面会をした。
まだ年齢が若い事もあって、元気そうでなによりだった。
2月10日の出行まで、あとわずか・・・最後まで怪我・病気をせずに元気で出行して欲しい。
寒中お見舞い申し上げます。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
昨年12月2日先代住職である師父龍明院日政(長谷川鳳晃)上人が、遷化(逝去)致しました。世壽79歳。
12月5日広宣寺本堂に於いて葬儀式を厳修致しました。ご寺院様を始め檀信徒、有縁の多くの皆様にご会葬頂きました。有難うございました。
早くも年明け1月19日満中陰を迎えます。最近、少しずつですが落ち着きを取り戻して来ましたので、ようやくブログの更新が出来る時間が出来ました。
今年は、頑張って更新して行く予定です。
どうぞ、よろしくお願い致します。
11/25?26? 新潟県に於いて全国声明師連合会主催「声明師研修会」が開催された。
全国から約100名近い声明師が集まった。
11/25 午後2時からの研修に間に合うよう、大阪伊丹空港より飛行機で新潟に飛んだ。過去、新潟は訪れた事はなく厳しい研修に参加する事ではあるが、現実から離れる一泊二日のショートトリップの意味合いもあるかもしれない。。飛行機を使えば大阪から1時間で到着。機内から見た風景は、さすが米どころ。田園の占める割合が多かった。
研修会一日目は、午後2時?5時まで行われた。夜は、参加者全員で懇親をはかった。二日目は、午前9時から11時まで研修が行われた。研修の中で、実際に声明を唱えるのだが、今年、声明師に任命された皆さんのレベルが高い。負けずに頑張るが、これがまたなかなか難しく、声明は習練を必要とするからだ。日々、声明師として自覚を保ち勤行、法要のひとつひとつを大切に勤める事が必要だ。研修会に出席すると、また新たな気持ちが沸いてくる。
帰路は、少し新潟の街を巡り(ご当地グルメのイタリアンを食した)機上の人に。
19時過ぎに自宅に到着した。
お寺から市営斎場までタクシーを予約した。出棺時間に間に合うように14時半出棺の15分前到着でお願いし予約は済んだと思ったのだったが、その直後、タクシー会社より電話があり「14時15分では間に合わないのでは?」という事だった。「到着が14時15分前後になるので間に合わないかもしれない」と引き続き訴えてくる。「ならば14時10分でもいいですよ」と答えたのだが、それでも尚、執拗に「到着後、直ぐにご乗車して頂けない場合はタクシーは戻ります」???? 「いやいや、出棺が14時半なんだから帰って貰っては困ります」から、話はどんどんとおかしな方向に進み出したので、間髪入れずに喝を入れ、責任者に電話を交替させたところ、通常通りの会話で14時15分に到着し待っていてくれるとの返事だった。メーターを倒して待つ訳なので何故帰る必要があるのか? 最初のオペーレーターの考えがわからない。
電話を切った後、冷静に考えてみた。
きっと、オペレーターは「寺から出棺する」という意味が理解出来ていなかったのだと思った。行き先を尋ねられ「市営斎場」と答えたところからオペーレーターの頭の中がコンガラガッタのだろう。14時30分に市営斎場から出棺。ならば寺に出棺15分前に到着しては目的地まで15分で到着する事は難しいと考えたに
違いない。そう考えれば執拗に「間に合わない」を連発しないだろう。
いやいやオペレーターさん、私が言いたいのは、寺を14時半に出発し、15時に市営斎場に霊柩車が到着すれば問題ない事なんです。それを、担当したオペーレーターが知らなかったのだろう。そう考えると、こんな所でも葬儀の形態に変化が出て来たという事だ。以前なら、自宅からご遺体を出棺する事が普通の光景であった。それに伴い遺族を市営斎場に送迎するタクシーの車列も当たり前だった。それが、最近は葬儀会館から出棺する事が多くなりマイクロバスやマイカーを使用するようになった事でタクシーの利用率が下がったのが原因かもしれない。そして、今回のような行き違いが生じたのであろう。
ここにも葬儀形態に変化が出ているのだと考えさせられた。
10月半ばを過ぎましたが、日中は半袖でも大丈夫。しかし昨日あたりから日中と朝晩の気温差が大きくなって来ました。
体調を崩さないようにしないと・・・
寺犬は、既に寝床にヒーターが入りました。