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"葬儀って?"の記事一覧

お寺葬儀の新しいカタチをデモンストレーション

こんにちは!広宣寺葬祭部の佐伯由美です。青空に白い雲と秋らしい風に吹かれながらこのブログを書いております。
こんなにも爽やかなのは理由がありまして、、、
昨夜、当山にて新しいお葬儀のカタチをご提案するデモンストレーションが行われ、沢山のお上人がた(宗派関係なく)や傾聴僧関係の方々にご参加いただき、その後も夜が更けるまで様々なご意見やご質問をお伺いできた次第です。

その名も…

「ことはな葬」

と申します。ご遺族・ご親族、そして一般の方…それぞれの故人への想いを最後のお別れまでゆっくりと時間をかけてカタチにしていくお葬儀です。
出棺をひかえてどうしても慌ただしくなりがちなお葬儀、僧侶が参列のみなさまお一人お一人の寂しいお別れのお気持ちを故人にお伝えいただくお手伝いをいたします。

なかなかご覧いただくまでわかりにくいかとは思うのですが、、、
これからこのブログをご覧くださっているみなさまに少しずつお伝えしていこうと思います。これからもよろしくお願いいたします!

ことはな葬デモンストレーションしつらえ

お寺葬儀

広宣寺葬祭部の佐伯です。
昨日は大切な檀家様のお葬儀を当山にて住職導師のもと執り行わせていただきました。
一報をお受けしてから住職自らお迎えに上がり、当山にご安置させていただきました。
枕経ののち、市役所へ手続きに。翌日は湯灌にてお身体をお清めいたしました。

お通夜には故人様のご遺族・ご親族が集われました。
皆様、急なことでしたのでまさに駆けつけて来られた!そんなご様子でお疲れを癒せるよう
お迎えをいたしました。
通夜の儀の結びに法号(戒名)について導師である住職からご説明がございます。
故人様の明るく面倒見の良いお人柄から文字を採り入れ、日蓮上人の「日」の字が入ります。

翌日、お葬儀には故人様のお人柄ゆえご遺族・ご親族、そして会葬の方…沢山の方にお越しいただき
決して広くはない当山の本堂いっぱいにご参列をいただきました。
役僧が奏でる雅楽の笙の音とともに住職が入場、厳かな雰囲気に本堂が包まれます。
それぞれの方が故人を偲びながらご焼香がおこなわれました。

ご出棺に際しましては当山ならではの葬列がございます。
住職の先導でお柩、続かれましてご参列の方々に霊柩車までの公園の遊歩道を葬列していただき
お気持ちを整えていただきます。
いよいよ霊柩車を先頭におあと送迎のお車を当山にてご用意して斎場へと向かいました。

斎場でも住職は常にご遺族の方に寄り添っておりました。不安なひとときですものね。
帰路の送迎バスには住職も同乗させていただいたところ、「私もこちらでして欲しい!」と
嬉しいお言葉をいただいたと住職がのちに話しておりました。そのお話を伺って
私どもスタッフも大変有難く思った次第です。

どうかご参列の皆様、お疲れでませんように。
もしご縁あって、当山でお葬儀をしてくださるご遺族の皆様、なんなりとご不安なこと・ご心配なこと、
お教えください。心を込めて勤めさせていただきます。

ぼったくり?

今日午前中、本堂にて四十九日法要並び当山合祀墓への納骨法要を厳修しました。施主さんは、以前当山HPをご覧になり永代供養の相談に来られ、当山と合祀墓を気に入って頂けたようで今回の永代供養へと繋がった。
この施主さんは、今年6月ご主人を亡くされた。ご子息からお話を聴かせて頂くと、自分達は無宗教だったので宗教儀礼を伴わない告別式を、悪名高き「生◯◯お葬式」の◯◯会館で行った。ご子息は担当者に「何もわからないので」と伝え、告別式を依頼したそうです。家族、親族合わせて7~8人、他には伝えなかったので一般会葬者無し。会場で、ただ音楽を流していただけだったそうだ。お話の内容から想像していた通の式だった。
驚いたのは告別式に掛かった費用だ。おそらく祭壇も組まれたのだろう、総額100万円だったそうだ。「何もわからない」と施主が担当者に伝えた事で担当者はどう考えたのだろう?状況を考えれば、他のアプローチもあったはず。「生きる人から、如何にお金をむしり取るお葬式」という事が「生◯◯お葬式」なのですね。

広宣寺葬祭部(当山の一時代が終わった)

広宣寺葬祭部
4月24日当山元筆頭総代がお亡くなりなった。5年前病を発症し入院。その後一度も退院する事無く逝去の日を迎えた。その間、一度は面会にとも思っていたがそれは叶わなかった。4月23日夜半奥様から訃報の連絡を受け、すぐさま奥様を伴い病院へ直行した。病室に入りベッドに横たわる総代さんを見た時、少し苦しそうにはされている様子だったが息があり、亡くなってはいなかった。ほどなく看護師さんが来られ「病院から亡くなったとの知らせを受けて来ました」と伝えると、「いや、まだ亡くなられたと連絡したのではなく血圧が下がって来た事をお伝えしました」との事だった。私としては、5年前故人が入院した時から、これでお会いする事は出来ないと思っていた。それが思わぬ事でお顔を見る事が出来た。4月26日19時30分通夜式、4月27日9時30分葬儀式を厳修しました。故人は当山護持に尽力され、自らは日蓮宗先達修行に入行。平成27年ご夫妻で山門復興のご寄進をして頂いた。当山の一時代を担ったお一人として記憶に残る。

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大手葬儀社はね.2

今月だけで檀家さんの葬儀が立て続けに3件あった。うち2件は当山葬祭部にて寺葬儀式で執り行い、残り1件は大手葬儀社Tの会館だった。三つ目の檀家さんの葬儀は、今回大手葬儀社Tの会館葬儀だったが、施行方法の流れは過去と何も変わる事もなく、ただただ、喪主さんは葬儀担当者に敷く時中、人数の確認やら打ち合わせやら、雑用に追われ過ぎて葬儀が終わった後の喪主夫婦の感想は「何が何やらわからないままに終わってしまった」という、必ず誰しもが感じる感想だった。

死は突然訪れるものです。準備が出来ない葬儀だからこそ「当家取り込み中の故、失礼があるかもしれません」というアナウンスの必要性があるのだと思う。それをあたかも人を招く事が主になり、故人を送る事が従になっている大手葬儀社の施行は如何なものかと思う。何故そうなるのか?

彼らが儲けたいの一言に尽きる。

正規な値段等で儲けるならいざしらず。

喪主から葬儀代、出入業者からバックマージン、果ては僧侶から紹介料としてバックマージンを取る大手葬儀社。これだけでは無い、まだまだ多くの隠された部分があるだけに、葬儀は事前準備が大切だと思います。

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大手葬儀社はねぇ

7月19日
夕飯中に檀家さんから訃報が入った。かねてから入院中だった94歳の母上がお亡くなりになった。枕経に伺いお勤め後通夜、葬儀日程の打合せ。その際、葬儀時間を10時30分開式と決めた。そうすると葬儀社担当者から、もし予約が取れなかった場合として11時30分という案を出してきた。
第二案を提案する事に於いては問題ない。しかし、火葬場予約結果を聴いてナルホドと思った。私は、日頃から火葬場の予約に私自身が出向いているので事情は理解している。

今回、19日21時に、22日の火葬場の予約を取る事になった訳だが、私は、何時も自分で火葬場の予約を取るので知っているが、丸二日先など予約が入っている場合はまず無い。と言っても過言では無い。それが第一候補の正午が取れず第二候補になったという事に驚いた。これが、大手葬儀社Tの常に上から目線のやり口だ。基本的にここで彼等は喪主に嘘をついているという事になる。全て葬儀社Tの都合で葬儀がスタートしているという事だ。喪主・僧侶・出入り業者・会葬者に対し何時も上から目線であり、高額な葬儀費用(個人的にそう思う)。葬儀を商売の種としか見ていない姿勢と態度。故人が勧誘員から騙しに等しい勧誘文句で入っていた互助会を使う事が、残された家族・親族に多大な負担がかかるという事を理解して頂きたい。

互助会に入会していても何時でも解約ができます。

解約を拒まれた場合は高槻市消費者センターに電話すれば直ぐ解約に応じるようになります。

(072)682-0999)

 

久遠林

東京滞在二日目。
昨日は、本門寺で声明師会長研修会に参加した。昨年の研修会には、声明導師早水先生がいらっしゃったが、今年からはいらっしゃらない。今年
、遷化(お亡くなりになった)された先生の増円妙道を上田先生導師の元、回向させて頂いた。

二日目は、場所を宗務院に移し声明会連合会会長会議に出席する。会議前に池上照栄院さんが管理運営されている久遠林へ。久遠林には、妻の両親が納骨されている永代合祀墓。敷地面積も広く立派な合祀墓である。義理母が亡くなった際、今後の事を考え義理父と相談した結果、妻を含む家族全員が久遠林へ入る事になった。こうして、妻の実家からも近く、上京した際に墓参が出来るのも有難い。墓を守るべき人が在るならお墓を建立する選択肢もあるかと思います。どうしても墓を守れない時が来たならば合祀という選択肢もあるかと思います。

久遠林
久遠林

久遠林合祀墓
久遠林合祀墓

合祀墓に納骨された方の名前と法号が彫刻されています。
合祀墓に納骨された方の名前と法号が彫刻されています。

広宣寺葬祭部

広宣寺葬祭部。
昨日夜中、お檀家さんがお亡くなり、尼崎市の病院へお迎えに行ってまいりました。その後、枕経、湯灌後、本日当山へ搬送します。

墓終い?

最近、「墓終い」という言葉を耳にする。自分の代で先祖代々から受け継いだ墓をなくしてしまうという事だそうだ。
世情の変化から、墓を継承する事が不可能な場合が出て来た事は理解できる。最も大きな原因と考えられるのは「核家族化」だと思う。
核家族化になって、親子の同居が減り、老夫婦二人暮らし、独居老人の割合が増加している。私の住む地域でも「空き家」が増え、残された子供にとっては、自分が育った家でさえ「負の遺産」となってしまっている。
逝く方の親は、「子供に迷惑をかけたくない」という理由から、先祖代々の墓を処分する。そのニーズに、いち早く葬儀・石材・仏壇等の業者が答えはじめ「墓終い」という造語まで作り出し、商売として積極的に進めているのではないか。

継承者が居ても、墓を継承しない理由は何なのか?を考えてみたところ、おそらく「経済的理由」ではないかと思う。親はそれを知っているからこそ、「子供に迷惑をかけたくない」というのであろうと推測される。

立正大学の先輩上人が投稿された文章を抜粋させて頂いた。「過去たる死者は、私たちの未来でもあります。死者にとっての未来であるはずの現在の私たちは、同時に死者の過去でもあります。」「死者の志を継ぎ、絶やさぬ努力をするすることが生者勤めであり、その勤めを怠らぬかぎり、死者は生者と共に生き続ける。」

また「この土が浄土であるならば、この土に死者も生者もと共に生きている。死者も共に闘っていてくれる。」
「生者だけの世界と思うのは生者の放漫ではないか。死者と共に生きる世界だからこそ大事にしたい」
「死者生者を分かつことのない球体のような世界が立正安国のような気がします」

「墓終い」を考える前に「生者だけの世界と思うのは生者の放漫ではないか。死者と共に生きる世界だからこそ大事にしたい」
今一度考えて欲しい・・・

サービス業!?

昨夜観ていた報道番組の中で、大卒の人達が葬儀業界に就職しはじめている。という内容だった。その中で、就職した人達は一応に葬儀を究極のサービス業だとコメントしていた。それを聴いていて思ったのだが、葬儀は、亡くなった方の生前の遺徳を讃え、弔う事ではないか?また、葬儀を執り行う事で、のこされた親族、故人に関係した全ての人達が、故人を霊山浄土へ送る事で、その死を受け入れるのではないか。そこには、結婚披露宴を真似たかのようなサービスやセレモニーの必要は無いと思いますがいかがですか?彼等は、それをサービスする事が自分達の役割だと思っているのかもしれませんね。また雇い主葬儀社社長のコメントの中で、おもてなしを第一に考えて葬儀を行っているという内容だった。死は突然であり、予測は出来ない事である。だから、身内、会葬者等に対して粗相があったにしても、取り込み中のうえ許して貰い、許すものであると思います。果たして、葬儀はおもてなしを必要する儀式なのでしょうか?葬儀社はサービス業なのでしようかね?