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妙福寺様交通安全祈願祭
今日午前9時から茨木にある檀家さん宅にて月回向を済ませ、大阪市南森町にある妙福寺様へ向かいました。到着後午前11時より、本堂に於いて妙福寺交通安全祈願祭の修法導師を勤めさせて頂き、願主の皆さんの1年間無事故を祈願致しました。
バイクツーリング
4年前から、檀家さん達とツーリングを楽しんでいます。そもそものきっかけは、檀家総代さんの長男さんが定年を迎えられ帰阪された事からでした。長年バイクに乗られている方と知り、一緒にバイクツーリングに行くようになりました。その当時、私機会許で大型自動二輪免許は持っていなかったので檀家さん1000cc大型バイク、私250ccのバイク二台でツーリングに出かけていました。
しかし、檀家さんのリッターバイクに刺激された私は、一念発起し52歳で教習所に通い大型自動二輪免許取得し、今は檀家さんと同じリッターバイクに乗りツーリングを楽しんでいます。
その後、バイクに乗るようになってお参り先でたまにバイクの話題が出る事で他の檀家さんの中にもバイクに乗られている方がいらっしゃる事がわかり、その方達をお誘いして二か月に一度位の頻度でツーリングに出かけています。
バイクが縁となって、元檀家総代の長男さんに総代を引き受けて頂きました。他の住職の皆さんからも、こういうふうに檀家さん達と交流を持っている事を羨ましがられます。今はバイクツーリングを通じ少しずつ法華経の教えや菩提寺の事を知って頂く機会となりつつあります。
墓終い?
最近、「墓終い」という言葉を耳にする。自分の代で先祖代々から受け継いだ墓をなくしてしまうという事だそうだ。
世情の変化から、墓を継承する事が不可能な場合が出て来た事は理解できる。最も大きな原因と考えられるのは「核家族化」だと思う。
核家族化になって、親子の同居が減り、老夫婦二人暮らし、独居老人の割合が増加している。私の住む地域でも「空き家」が増え、残された子供にとっては、自分が育った家でさえ「負の遺産」となってしまっている。
逝く方の親は、「子供に迷惑をかけたくない」という理由から、先祖代々の墓を処分する。そのニーズに、いち早く葬儀・石材・仏壇等の業者が答えはじめ「墓終い」という造語まで作り出し、商売として積極的に進めているのではないか。
継承者が居ても、墓を継承しない理由は何なのか?を考えてみたところ、おそらく「経済的理由」ではないかと思う。親はそれを知っているからこそ、「子供に迷惑をかけたくない」というのであろうと推測される。
立正大学の先輩上人が投稿された文章を抜粋させて頂いた。「過去たる死者は、私たちの未来でもあります。死者にとっての未来であるはずの現在の私たちは、同時に死者の過去でもあります。」「死者の志を継ぎ、絶やさぬ努力をするすることが生者勤めであり、その勤めを怠らぬかぎり、死者は生者と共に生き続ける。」
また「この土が浄土であるならば、この土に死者も生者もと共に生きている。死者も共に闘っていてくれる。」
「生者だけの世界と思うのは生者の放漫ではないか。死者と共に生きる世界だからこそ大事にしたい」
「死者生者を分かつことのない球体のような世界が立正安国のような気がします」
「墓終い」を考える前に「生者だけの世界と思うのは生者の放漫ではないか。死者と共に生きる世界だからこそ大事にしたい」
今一度考えて欲しい・・・
平成27年度盂蘭盆施餓鬼会法要厳修
8月16日午前11時より 当山盂蘭盆施餓鬼会法要を厳修致しました。
当日は、日曜日と重なった為多くの檀信徒の皆様にお参り頂き、ただでさえ手狭な本堂内に、人が溢れんばかりでした。
年に一度の盂蘭盆法要終えて、今年の法要の反省と来年への改善策を考えながら、今は、ほっとしているのが実感です。
ご出仕頂いた、お上人との話の中で「住職である導師は、本来法要に集中したいところだが、法要当日も雑務に追われてしまいますね。」まさに、その通りだと思った。準備作業に従事するのは、私と妻の二人であり、年々ミスが減らなければならないはずが、集中力の欠如からか?ミスが増えている。これはいかんと、改善策を試みるも、改善策が覚えきれなかった事によるミスが発生するありさま。この繰り返しを年々に続けている。