"がんばれ仏教"の記事一覧
バイクツーリング
4年前から、檀家さん達とツーリングを楽しんでいます。そもそものきっかけは、檀家総代さんの長男さんが定年を迎えられ帰阪された事からでした。長年バイクに乗られている方と知り、一緒にバイクツーリングに行くようになりました。その当時、私機会許で大型自動二輪免許は持っていなかったので檀家さん1000cc大型バイク、私250ccのバイク二台でツーリングに出かけていました。
しかし、檀家さんのリッターバイクに刺激された私は、一念発起し52歳で教習所に通い大型自動二輪免許取得し、今は檀家さんと同じリッターバイクに乗りツーリングを楽しんでいます。
その後、バイクに乗るようになってお参り先でたまにバイクの話題が出る事で他の檀家さんの中にもバイクに乗られている方がいらっしゃる事がわかり、その方達をお誘いして二か月に一度位の頻度でツーリングに出かけています。
バイクが縁となって、元檀家総代の長男さんに総代を引き受けて頂きました。他の住職の皆さんからも、こういうふうに檀家さん達と交流を持っている事を羨ましがられます。今はバイクツーリングを通じ少しずつ法華経の教えや菩提寺の事を知って頂く機会となりつつあります。
壽晃院日徳上人 身延山教師廟納骨
6月3日身延山教師廟へ、壽晃院日徳上人の遺骨を分骨しました。明日のご命日、当山に於て一周忌法要を厳修します。私としてはこれで少し安心しました。生前、叔母の日徳上人は独りで暮らしており、全てを独りで決断し実行しなければなりませんでした。遷化後、後の事に関して道筋を建てていてくれていたおかげで、スムーズに物事が進みました。独りで人生を全うする為には、どうすれば良いのか?日徳上人から学ぶ事が出来ました。
決して、死んだら終わりではありません。
子供に迷惑をかけたくないと思うなら、自分が亡くなった後の事まで子供に伝えておいてあげて下さいね。
授戒式の準備
来る3月31日当山にて授戒式を執り行うにあたり、諸々の準備を進行中です。この授戒式は、先代住職から逆修(日蓮宗では、戒名を法号といいます)すなわち、法号を授与された檀家の皆様に、その法号を授戒して頂く為の式です。逆修法号を受けるという事は、死んで行く際の名前を貰うという訳ではなく、今以上に法華経に帰依し、受持、読誦し、法華経を広め功徳を積む決意を現す事です。
遺骨はどこへ?
2/15の予定はタイトでした。
am9.00安産祈願、am10.00一周忌法要、am11.00満中陰法要。施主さん達と食事、pm6.00葬儀会館にて通夜式。
葬儀会館に入る前、高槻市斎場に寄り8寸骨壺を買い求めました。これは、昨今の葬儀社は、何故かわかりませんが5寸骨壺を用意しています。このサイズだと全骨を収骨する事が出来ません。残した遺骨の行先は何処なのでしようか?考えた事はありませんか?
友人である住職のはなしでは「かつて尼崎市の弥生が丘斎場(額田の火葬場)の職員に訊いたことがあります。収骨しない遺骨はどこに持っていくのかと。
能登半島の方に持って行って埋葬するとか言っていました。真偽は不明です。
第一生命経済研究所ライフデザイン研究本部主任研究員の小谷みどりさんの講演を聴いていたら産廃扱いだと聞いたよう記憶しています。」という事でした。
私は、檀信徒の収骨には必ず立ち会い全骨を収骨しています。
四十九日と人間のバイオリズム(その四)
人が、「さぁ! やるぞ!」と物事を始めて四、五十日で「消耗現象」が起こる実例を前回のブログから紹介して来ました。
さて、そもそも四十九日とは何ぞや? ?である。
これは、近親者(親子、夫婦、子供)の死を経験した方は、理解できると思います。心の動き、心の安定が四十九日までと四十九日後では随分違いがあります。簡単に説明すると、近親者が亡くなった直後は、誰しも心が不安定になり軽いパニック症候群に陥る感じがします。その状況で通夜、葬儀を終え普段の生活に戻るわけですが、近親者は、ここで少しパニック症候群から脱して空虚感を感じる事もあります。以前は、これから二七日、三七日・・・と、四十九日まで七日ごとに僧侶を招き親族が集まって法要をしていました。
最近は、この七日ごとの法要は忘れ去られつつあります。しかし、近親者にとっては、心の安定を取り戻したわけではなく、四十九日が終わるまではなんとなく落ち着かない状態が続いています。心の不安定さを忘れる為に、葬儀等でお世話になった方への挨拶回りや香典返しの作業があるのかもしれません。ですが、最近は香典を受け取らない事が多々あります。まして家族葬と呼ばれる親族だけの葬儀も増え。葬儀後の忙しさも無くなりつつあります。
こうして本来あるべきものだった「喪の作業」も葬儀と同じく簡素化されて行く事により、人はカタチとしての「弔う」事をしなくりつつあります。よく世間では「気持ちがあれば」と云うのですが、カタチが無ければ気持ちも入らないと思うのは私だけでしようか?
「喪の作業」をしなくとも、四、五十日目で「消耗現象」は、訪れるでしよう。しかし、「喪の作業」を行っていたなら四十九日法要を勤める事で故人の成仏を願い、その先の世界に心静かに故人を見送る事が出来ます。かたや、「喪の作業」を行っていない場合、四十九日目に「消耗現象」が起こり、精神的安堵感につつまれる機会を逃し、ただただ疲れがだけが残る事になるのかもしれません。
人が本来備わっている「逆境に打ち勝つ、リセットする」バイオリズムと、葬儀や四十九日法要の関係性があるともいえますね。
社会教化事業講習会
9月9日〜10日東京大田区池上にある日蓮宗宗務院で開催された社会教化事業講習会に参加しました。
日蓮宗を代表する6人の僧侶が、各々が実践されている社会教化事業の紹介並びに実践例を講習。日蓮宗僧侶の社会教化活動の意義に始まり、青少年教化活動、ビハーラ活動、国際協力活動、災害・危機管理実践活動と活動内容多岐に渡り、各々り僧侶の皆様の社会教化に対する考え方がとても勉強になった。
私は、一般の方と接する事が多く。私が僧侶と分かれば、ご自分の身の回りにいらっしゃる僧侶の話しを良く耳にする。その内容のほとんどが、お布施にかかわる事と僧侶の法要儀式のあり方等だ。それも良い話しはほとんど聞いた事は無く、悪い話しばかりだという所に世間の我々に対するそれが評価だと感じる。
「無関心ではいけない」「まず、自分の出来る事から実践してみる」我々僧侶に出来る社会教化活動は沢山ある。私は、「寺で葬儀を出そう・葬儀代金の適正化」を、もっか推進している。今回の講習で私が考え、実践している事も社会教化の一部になる事が分かり、これからも身の丈に応じた活動を実践して行くつもりだ。
画像は、(株)オフィスロータス経営「ロータス・カフェ」この移動カフェの経営は、日蓮宗僧侶のMさん。今回の講習会の講師もされていた。いろんなアプローチで社会教化活動が出来る新しい見本かもしれない。このカフェ、新宿にある日蓮宗寺院門前にて常設されていおり、東京23区なら、何処でも出張可能。特に寺院の行事の際に出向き、美味しい飲み物を寺側から壇信徒に振る舞う。飲み物料金は全て寺側が負担。