ついに、ここまで・・・
少子高齢化社会の中、最近メディアで良く取り上げられる「葬儀」この時代になり、ようやく「死」という事を人は考えるようになったのかもしれない。
先日、近隣の寺院のご住職が自身のブログに書かれていた内容をご紹介する。
「全文引用」
久しぶりに実家の寺に、用があって寄ったら、檀家さんが来られていた。なにかずいぶんと謝っておられる。どうも、葬儀にまつわることのようだ。気の毒なぐらい、平身低頭な姿勢だ。
話は、こういうことだ。実家の寺の檀家さんの中に、数年前から認知症のお婆さんがおられて、命日を忘れたりされることが多く、それまで毎月回向にお伺いしていたものを、当分休むことにしていた。そのお婆さんが亡くなって、セレマホールで葬儀をすることになったようだが、「以前来られていたお寺さんが、今は来ていない」と話したところ、「それは、住職が怒っておられるんですわ。うちからお寺を紹介するから、そちらで葬儀をしなさい」と言われたそうだ。だいたい、葬儀というのは急に起こることが多く考える時間があまり与えられないために、大きな間違いを起こすことが多い。今回も、結局は葬儀社の言われるままに葬儀を行ってしまって、その後に元のお寺に聞かれたらどうしようと思ったようで、セレマホールにそれを話したら、「葬儀は田舎でしました」と言っておきなさいと、とんでもない入知恵までされたそうだ。
葬儀に参列した兄弟が、「どうなってるんだ」「お寺が違うじゃないか」と言いだし、皆さんお揃いで、謝罪に来られ、これからのことを頼まれに来たようだ。結局のところ、檀家さんに負担をかけるような指導をする葬儀社、あるいは社員。いったいどういう規範に基づいて、社員教育を行い、会社を経営しているのだ。その場しのぎの理由を適当に考えて、目の前の利益を上げることを目的にする。ほとんど悪徳業者と変わらない。
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以下の文章は、私の意見です。
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業種により、様々な事情が存在する。
「葬儀業界」にも、それ特有の事情があるだろう。これに良く似たケースは多々ある。核家族化が進み、故郷を離れると寺との付き合いはなくなる。
いざ、葬儀となった時「お付き合いをしている寺はありません」と答えると、葬儀社が僧侶の手配をしてくれる。こういう事例が多くなり、数年前から葬儀社に営業をかける寺を持たない僧侶が現れた出した。関東では「マンション坊主」と称されたりしている。喪主から頂いたお布施を葬儀社又は葬儀担当者にキックバック(お布施の一部を紹介料として支払う)するのだ。こうして葬儀社は喪主に多額の葬儀代金を請求し、更に頂いたお布施の一部が紹介料として手許に入る。それが、世間で騒がれ出すと、今度は喪主が葬儀代金を下げないようにする為に僧侶の「お布施」を葬儀社側が僧侶の了承無しで「お布施の相場」と言う名目でお布施を決めている業者もある。
今回の件が悪質だというのは、喪主側にお付き合いしている寺がある事を認識していながら、嘘をついてまで葬儀社と契約している僧侶を斡旋した事である。
この裏には、葬儀社社員の給与形態が「歩合制」である事も関連していると思われる。少しでも、葬儀代金を高額にする事で給料が上がる。又、葬儀終了後に「互助会」へ勧誘し、入会してくれる事で、互助会費の一部が社員の給料となる等の事情があるのだと思う。
このような葬儀社を無くして行くのには、我々、僧侶側も襟を正す必要もある。葬儀を出す喪主側も、葬儀に関しての知識を知る事も大事な事である。
「人生の締めくくりは、生前中に自分自身で決める事が大事な事ではないでしようか」
今年は、葬儀関連の事をHP上で展開していく予定です。