BONZEブログ

"日々のこと"の記事一覧

祇園で

昨夜は「お坊さんナイト」があり、祇園ギャザーに行ってきました。

今夜の担当僧はOさん。
彼女とは傾聴僧の会、対人援助研究所で共に学んでいる仲間であり、
ソーシャルワーカーとしても活躍されている方です。

恋は煩悩。
恋の結末は「歎異抄の中のお言葉に救われた」
仏教的見地から恋を観る。

途中で席を立ちましたが、更に話しは深くなっていったのか?
うーん 残念!

大塚さん お疲れ様でした!

 

長い付き合い

K上人とは小学生の頃僧風林で出会い、大学四年間を共に東京で過ごし、かれこれ40年の付き合いだ。これも同じ僧侶でいるということと、趣味趣向が合っていることも長く続いている要因のひとつかもしれない。

聴かない人

毎月月例法要後、僅か10分弱の法話をしている。

良く聴いてくれる人、聴いているかどうかわからない人、聴きたくない人、聴かない人の区別ができる。聴いている側はわからないと思うが、話す側にはその姿勢は良くわかるのだ。なぜなら絶対数が聴く側なので、話す側の気持ちを理解することは不可能だからだ。

聞くと聴くの違いは何だろう?

聞くは、音声のみを聞いている。

聴くは、耳で聴き、目で聴き、心で聴く。相手の方の聖なる語りを聴く。

聞くではなく、聴く姿勢で法話を聴いて頂ければな。それには、法話の内容をより良いものにしなければならない。

網膜剥離手術

7月16日網膜剥離硝子体手術を受けた。

術後2か月順調に回復をしている。

と60年ほど前だったら、現在の硝子体手術は無かったと思う。

そう考えると網膜剥離になると術がなく失明することになる。

生まれた時代によって人生が左右される。

 

関係の悪化?

今朝のニュースで、旅館敷地内にある藤の木が電力会社によって根元から切られてしまったという。

何故藤の木を切った主を特定できたのか? それは旅館の敷地内に設置された防犯カメラの映像で特定されたからだ。テレビ局が電力会社に取材し会社側の返答は「周囲に停電を引き起こす要因になる。保安基準の問題で切った」とのことだった。

放送では、旅館経営者が「30年前に植えた藤の木が切られてしまって残念でならない。敷地内に入るなら声をかけるべきだ」と記者のインタビューに答えていた。放送の流れは、電力会社が無断で敷地内に入り藤の木を根元から切ってしまった」という権利の主張が正義だと。視聴者を誘導しているように個人的に感じた。

次に何故?電力会社職員は藤の木を根元から切ったのだろう。という疑問が残る。

そもそも藤の木の直ぐ横に電柱があり、電柱に藤の木のツタが絡み付いているのだ。通常ならば電力会社が電柱のツタを切れば済むハズだが、ツタは旅館の所有物になるので切れない。旅館の経営者は「数回ツタは切ったのですが」とコメントをしていた。確かにあれ程ツタが電柱に絡んでいれば停電を引き起こす事態も考えられる。

この件は、数年間又は数十年間に渡って続いている問題なのかもしれない。

電力会社と旅館経営者、両者の関係が藤の木を根元から切るという行為に現れたのだろうか。

両者によって命の営みを止められた藤の木に合掌。

南無妙法蓮華経。

 

 

災害支援

昨年起こった西日本豪雨災害に於いて、(義理弟)前平剛君が経営する前平組が、広島県呉市災害発生直後から数ヶ月間に渡り災害支援活動(土砂、瓦礫を取り除き道路復旧)に従事し、自衛隊、警察の支援活動に積極的に協力した功労に対し感謝状が贈呈されました。

彼のユンボの操縦技術は卓越しており、瓦礫や放置されたクルマの撤去を短時間で取り除き、自衛隊員が驚き毎日自衛隊員から瓦礫の撤去要請があったとのこと。

 

2018年大晦日

皆さまにとって今年一年はどういう一年でしたか?
「良い年だった」「悪い年だった」「良いこともあったが、悪いこともあった」等、様々な想いの中一年が終わります。

ふと、考えてみると「良い年とはどういう年なのか?」または「悪い年とはどういう年なのか?」と考えた時、どちらもあてはまるように感じます。なぜならば、ずっと良いことも無いし、ずっと悪いことも無いと考えるからです。それは、ずっと良いことが続いた時「このままずっと良いことが続いて欲しい」と想う欲に満ちた私が現れ、「良いことが終わってしまったら悪い事が起こるとどうしよう」という不安に満ちた私が現れる。しかし、どちらの私も私である。そう考えた時、私の意識の志向性がどちらに向くかで私の現れは変わるということでは無いだろうか?

私事では、今年下半期は地震、台風の自然災害に見舞われた年だった。寺に被害はあったものの修理できる範囲の被害で終わったこと。災害に見舞われたことを知った檀信徒他有縁の皆様から災害見舞いを頂戴したことで早期に修理が完了しました。災害に遭ったことで建築物に被害が及びましたが、皆様の寺に対する想いが、災害見舞いとして現れたことに驚き、これだけの方達が見守ってくれていることを実感出来ました。

全ての物事は表裏一体である。しかし、表裏一体と観るには自然的態度を一旦停止することが求められる。それが今年の災害によって自然的態度が一旦停止したことで深く考えることができたと想う。

2019年は、たとえ成就しなくても小さな目標を沢山掲げて進む一年にしたい。

広宣寺葬祭部

広宣寺葬祭部
9時30分 40年来のお付き合いの檀家さんの葬儀式。
お参り時良くお話を聴かせて頂きました。特に印象に残っていることは「自宅で亡くなりたい」と話されていたことでした。ご主人が亡くなった後、お一人で暮らしていられた。ご自分の死生観をお持ちだったことから「自宅で亡くなりたい」という想いがあったのだろう。それは叶わなかったが約1ヶ月の入院生活時、食事を摂らなくなり自然な流れで死を迎えられた。

 

湯灌の準備
広宣寺葬祭部では湯灌を致します。