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"葬儀って?"の記事一覧

両極端

今年はお盆時期に葬儀が重なった。3つの葬儀の内、2つの葬儀は私の事を全面的に信用してくれていたので葬儀全般の手配を私が取り仕切った。一件は、檀家さんで当山本堂にて通夜、葬儀を行った。もう一件は、自宅にて通夜、葬儀は伊丹市市営葬儀場で行った。両家共に信仰心をお持ちの家族だけに、勤めさせて頂いた通夜、葬儀式に大変喜んで頂いた。
両家共に、親への報恩感謝の念厚く、送られる側の故人も大変喜んでいるに違いない。

もう一件は、某大手葬儀社依頼の葬儀。葬儀会館での通夜、葬儀式。何の変わりも無く機械的に流れる式進行。喪主も分家だった事もあり、齢70代にして信仰について無頓着。現代の代表的家族ともいえる。話の流れから、謗謗罪を犯してしまう事。娘2人で跡継ぎが居ない事を考えて今後の事を提案するも徒労に終わる。せっかく縁を持っても、その人の持つ「業」の強さにはかなわない。しかし、三件中二件の葬儀が、僧侶冥利につきる葬儀だった事を思えば救われた。これまで以上の布教をしなければならないと思った次第である。

人生の最期をしめくくるには

先輩上人のフェイスブックより引用させて頂きました。

(檀家)「先週、下の階の方が86歳で亡くなりましてね。通夜に、寄せていただいたのですが、涙が出ましたよ」
(上人)『そんなに親しくされていたのですか』
(檀家)「いいや、あまりにも貧相で、可愛そうになりました」
(上人)『そうなんですか』
(檀家)「自治会の役員で、本当に一生懸命動いていただいた人なんですよ。それなのに、奥さんから、家族葬にするからと言って来られたのですが、現自治会長が、世話になった方だから、通夜ぐらい参列させてほしいと頼まれて、ようやく同じビルの、者だけが伺ったのです」
(上人)『いろいろあっても、行けてよかったですね』
(檀家)「ところが、通夜の時刻が、他の部屋との兼ね合いで、午後9時しか取れないと言われたそうなんです。私たちは、車に乗り合わせて会館まで行きました」「会館に着けば、奥の狭い畳4畳半ぐらいのスペースに、棺が台も無しに直に置かれていて、その左右に一対の花だけあり、その前の座れる場所は、畳3枚ぐらいしかない。そこには、故人の奥さんと、息子夫婦が座っていて、会葬者は、廊下で手を合わせて焼香しました。しかも、宗教者もいない。会館に着いたら、順次ご焼香くださいと言われ、それだけで他には何もない。読経も挨拶もない。名札の掛かった生花もない。」
(上人)『多分、金を取れない葬儀だから、6時や7時と言った一般の通夜時刻を、会葬者が多い方に回したのですよ。86年間生きて、最後がそれじゃ、確かに淋しいですね』
(檀家)「でしょう。互助会に入っていて30万円は貯まっているはずなのに、あんな扱い。こんな淋しい通夜は行ったことがないですよ。あんなんだったら、府営住宅の自分の家でやった方がいいと思いましたよ」
(上人)『葬儀には行かれたのですか』
(檀家)「葬儀には行ってません。通夜だけという約束でしたから。帰りに、その日に会館で行われていた他の通夜式場の前を通ったのですが、いずれも立派な祭壇と生花があり、それを見ると、余計に哀れでさみしい思いがしました。自治会から一緒に行った皆も、帰りには誰一人話すこともなく、黙って帰宅しました」「私も、80歳近くまで生きてきたけど、今回ほど通夜で悲しい思いをしたことはありませんでした」

(上人)『死ぬのは自分だ。自分の事だから、自分で決める。また、家族の者も、家族だけの問題だと思うから、周囲や社会のことを、全く配慮していない。だから、そんな葬儀をしてしまうんですよ。仮に、故人が望んだとしても、周囲には、その人の一生って何? そして、生き方そのものを否定されたような感じがしますよね』

寿命

昨日、近所に住む檀家のお婆さんがお亡くなりなった。
2年間病院で暮らされていた。所謂寝たきりの状態だった。さぞ、ご家族の皆さんも大変だったことに違いない。
行年百歳(数年)にて寿命を終えられたわけであるが、命の終わり方を考えさせられる。

法号(戒名)は、法華経の中から寿命に係わる文字を考えるつもりだ。

葬儀は、菩提寺である当山で執り行う。

お寺で葬儀を!


先日、檀家さんがお亡くなりなった。亡くなった連絡を頂いた際、某大手葬儀社(セ○○)の互助会に入会していた事で、何の迷いもなくその業者に依頼済みだった。少なからず私とは因縁がある某大手葬儀社。連絡をくれた当家の長男と私は高校の同級生という事もあり、少なく見積もっても葬儀社に支払う金額だけで150万円はくだらない現在の葬儀事情を詳細に説明した。日程的にはまだ余裕があったので、家族と相談するように促し電話を切った。30分後、連絡があり私に全てまかせるという答えを貰った。
当山HPで告知している「広宣寺が提案する葬儀をベースにした内容」を彼に勧め了解を得た。通夜、葬儀には多くの会葬者が参列され、故人を偲んだ。その際、会葬者の誰もが、喪主に対し「とても良いお葬式で感動しました」という。言葉をかけていたそうだ。
葬儀会館等での葬儀は、便利で手間いらずなのかもしれない。それだけに無機質なホールに豪華に設えた祭壇が鎮座し、葬儀社が決めた流れの中でシステマテックに時間が流れて行くだけだ。そこには宗教的荘厳さや厳粛さは全く存在しない。寺での葬儀は、数百年間その地で唱えられたお題目が根にしみこみ、故人を霊山浄土へ導く荘厳さ厳粛さが満ちあふれ、弔問に訪れた皆さんとそれを共有出来る空間が存在する。それに人は感動を憶えるのだと思う。我々、僧侶もお寺で葬儀を出して貰える事で喪主を始めとする親族との接点も増え、葬儀を通じ、より一層関係が深まっていく事が実感できる。本来有るべき姿として寺葬をこれからも推し薦めていきたい。

キックバック?

キックバックは、日本独特の商慣行である割り戻し制度で、「売上割戻」「仕入割戻」「リベート」とも呼ばれ、メーカーや卸売業者などが商品の売上高や取引高など一定の条件をクリアした流通業者(卸売店や小売店など)に対して支払う報酬(割戻金、報奨金、奨励金)のことをいう。

このキックバックですが、我々、僧侶側と葬儀社側で未だ行われているという実態。
日本国内の寺院数(77,572か寺)は、実はコンビニ(43,372)より多いという事をご存知ですか? 寺といっても千差万別です。誰でも寺院名を言えば知っている由緒寺院から、過疎化地域にあり住職が無住の寺(15,000か寺)までを含んだ数です。

布施収入のみで維持出来る寺もあれば、兼業をして寺を維持している場合もあります。昨今は、寺を持たず又は持てず。都会のマンションに住みながら葬儀社に営業をして回る僧侶や、寺の住職であるが寺を維持して行く為に営業に回る者も存在します。

葬儀社又は葬儀社社員が、この営業に来た僧侶を葬儀で使う見返りとして、喪主から頂いた「お布施」の何割かを僧侶からキックバックさせるのです。キックバックされる金額は、お布施の2割〜3割は当たり前です。葬儀社担当にキックバックされたお金は、世の中に存在しないカネとしてその担当社員(パート)のフトコロに入る訳です。

更に驚くべき事に葬儀社が、会社として僧侶からお布施の5割をキックバックさせるところもあります。これは、あらかじめ葬儀社側が喪主に対し葬儀布施の金額を伝えます。喪主は、その布施は僧侶から打診された金額と理解し、そのお布施を用意します。お布施は葬儀当日、喪主から僧侶に手渡された直後、葬儀社が5割の金額を回収するのです。
その葬儀社は、看板、チラシ等で低額な家族葬をうたっています。

ですから、葬儀社は吟味に吟味を重ねないといけない事と思います。しかし、未だ人々の中には「生きている間ら葬式の準備をするなんて縁起が悪い」と敬遠する方が多数います。この日本人独特の考え方が、このような悪循環を招く事になっています。喪主から頂戴した「お布施」が、よもやこんなカタチで使われてしまっているとは想像出来たでしようか?自分の最期を決めるのは自分です。こんなカタチで自分の最期を終わらせて良いのでしようか?

もし葬儀を出すという事を自分自身で決めているのなら、このような事態に遭遇しないように生きている間に、自分が世話になろうと思える寺又は僧侶を探し出しておく事が必要ではないでしようか?

HPリニューアル

以前のブログにてご紹介した「広宣寺が提案する葬儀」の詳細をアップ致しました。

寺が提案する葬儀形態がどのような反響をもたらすのか楽しみです。

広宣寺HP http://www.kousennji.jp/

広宣寺が提案する葬儀概要

広宣寺が提案する葬儀。

男性79.54歳、女性86.44歳 。日本は世界一の長寿国となりました。
さて、これだけの長寿となると親をおくる側の年齢も50歳〜60歳代となり、定年を迎えるという大きな節目にあたってきます。

金融広報中央委員会「家計の金融資産に関する世論調査」2009年によると、貯蓄の全くない世帯が50歳代〜60歳代でともに全体の約2割。貯蓄のある世帯でも50歳代の19%、60歳代の15%は500万円未満。しかし、この年代が俗に言うリッチ世代と映る背景は、3000万円以上貯蓄がある世帯が50歳代で10%、60歳代で17%もいるからかもしれません。

この統計結果から現在50歳〜60歳代の自分が、親をおくる時4割以上の方は、現在の一般的な高額の葬儀費用に頭を悩ます事になります。親をおくる葬儀費用の工面で頭を悩ますだけであれば良いですが、昨今の風潮からパラサイトな子供がいる家庭、後に片親の葬儀を控えている、年金受給が減少し自分の老後の生活費用の不安もあります。

このような背景のもと「家族葬」という親族だけで行う葬儀が普及し始めたのかもしれません。しかし、現実は更に変化が激しく「家族葬」は、「葬儀費用が安い葬儀」と変化しています。
葬儀社の広告やHPには、低価格をうたう葬儀が乱立しています。ですが、この世界もまた「安かろう悪かろう」なのです。葬儀は儀式です。僧侶+葬儀社が一体となって執り行うものです。しかし、現状はどちらかが良ければ、どちらかが悪いという事態も多く、葬儀後に喪主からの不満の声が聞こえることも少なくありません。

現代の葬儀事情を考えると、寺サイドで何か提案する事が出来ないものか? 広宣寺ではそれは、葬儀の原点回帰だと考えます。葬儀社経由で僧侶が先方の事情もよくわからないまま派遣されるスタイルではなく、喪主と「お寺さん」が相談のうえ喪主の意図を理解し、費用が低額なのに心温まる葬儀を執り行う事です。それには、主旨を理解し協力してくれる葬儀社が必要でした。数多くの葬儀社に協力を求めましたが、どの葬儀社も協力してくれませんでした。ですが、現状の葬儀を変えて行かなければならない。という意図を理解してくれた一社が協力してくれる事になり「広宣寺が提案する葬儀」が、実現出来るようになりました。

「広宣寺が提案する葬儀」の内容は、
1. 親族のみの「家族葬」(小規模葬儀)を多少の不便はありますが本堂で葬儀を執り行う。
2. お布施と葬儀費用を一本化し全てを含んだ金額の提示(火葬費用・飲食代等別途な項目も有り)。
3. 合祀墓への納骨(管理料不要・納骨費用も含まれる)というものです。
4. お墓がない方も安心です。

広宣寺が提案する葬儀の内訳は、戒名・通夜・葬儀・初七日・七日ごとの逮夜(中陰)お参り・四十九日法要・納骨。までと、葬儀費用((火葬費用・飲食代等別途な項目も有り)を全て含んでいます。

このように、お寺にまかせば安心し納得できる金額で故人・家族の意図を理解して葬儀を執り行ってくれる。というのが「広宣寺の提案する葬儀」です。

一つだけ制約があります。葬儀式は日蓮宗法要儀式に則って執り行います。日蓮宗の方は当然ですが、日蓮宗以外の宗教・宗派に属していない方、菩提寺がない方に限らせて頂きます。この葬儀をお考えになる方は、まず、広宣寺HP上から「葬儀事前登録」(無料)をお済ませ下さい。「葬儀事前登録」内で、事前に葬儀に向けての詳細をご相談させて頂きます。

現代は、ネット全盛時代です。葬儀に関する多くの情報を得て取捨選択を行って下さい。そうして頂ける事により、「広宣寺の提案する葬儀」の意味も理解して頂けるものと思います。

遷化

3月25日同じ高槻市内にあるお寺のご住職が遷化されました。

本日、本葬儀式が執り行われた。高槻市管内寺院ご出仕のもと、多くの檀信徒が会葬された。
世寿87歳 出家得度されて70年。法華経広宣流布の為、心血を注がれた布教は檀信徒の心に
刻まれている。
お疲れさまでした。

謹んで上人の増圓妙道をお祈り申し上げます。

合祀墓開眼法要

平成23年2月24日広宣寺墓地内に完成した合祀墓の開眼法要を厳修いたしました。

この合祀墓は、昨今の墓地事情を考え従来の家単位から個人単位で納骨を行うコンセプトです。

合祀の形式をとっている関係上、宗派に関係無くどなたでも納骨して頂けます。合祀墓の良い点は、納骨された方が無縁仏にならない。お墓の維持管理の必要が無い。お墓参りは何時でも可能です。

様々な事情から個人単位のお墓を考えられている方にお勧めします。


広宣寺合祀墓 永代納骨料(一霊位)50,000円
納骨後管理費不要。