BONZEブログ

2015年の記事一覧

対応

今朝クルマを洗車して貰う為ガソリンスタンドへ行った。朝9時少し前に到着したので、店員さんに洗車時間を確認したところ9時からだという事だった。しかし、店員さんから他に作業が入っているので、9時半過ぎの洗車になると告げられた。仕方が無いので、待っている間に洗車チケットの車両入れ換えをお願いした。(ちよっと待って下さい)と言い残して店員さんは奥に入ってしまった。カウンターでは、女性店員さんが、お客さんの対応をしていたものの、お客さんは書類に記入している途中だった。私としては、その間に女性店員さんが、私の用件を尋ねてくれたらと思いつつ待っていたが反応は無し。洗車だけの為、30分以上待つのも時間のムダなのでガソリンスタンドを後にした。
私も、檀信徒の皆さんにこのような対応をしていないだろうか?常に気を付けないと女性店員さんと同じような対応をしてしまうだろう。今日1日は反省から始まった。

広宣寺葬祭部2

故人を寝台車にお乗せし、ご自宅前を通り提携葬儀会館へ搬送。会館到着後枕経。その後、故人が生前用意されていた死装束へ着替えて貰うよう湯灌を行います。

広宣寺葬祭部

広宣寺葬祭部。
昨日夜中、お檀家さんがお亡くなり、尼崎市の病院へお迎えに行ってまいりました。その後、枕経、湯灌後、本日当山へ搬送します。

平成27年度秋季彼岸会法要厳修

平成27年9月20日午前10時より、彼岸法要を厳修致しました。
今年は、シルバーウィークと名付けられた5連休初日にあたりましたが、予想以上に多くの檀信徒の皆様に参加して頂きました。
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今年も身延山久遠寺へ

8/31午前5時当山を出発し、一路山梨県身延山へ。今回の団体参拝団員は18名。日帰り強行軍の予定だが、例年の如く久遠寺祖師堂での輪番奉仕を勤める。所要時間五時間にて身延到着。13時から輪番奉仕法要開始。昨年、御真骨堂部分修復が完成し、今までわからなかった天井部の素晴らしい彫刻を見ることが出来た。現法主猊下は、事に輪番奉仕事業に尽力されており、客殿控室の冷暖房化、法要参加者の椅子準備等と整備を進められていた。今後は、祖師堂内整備にかかられるようだ。ともあれ、全行程15時間の団参を今年も無事に終える事が出来たのも仏祖三宝のご守護があってこそだと思う。
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盂蘭盆法要手伝い三か寺目

当山の盂蘭盆法要を終え、三か寺目のお手伝い先であるB寺。こちらの盂蘭盆法要は、昔ながらの法要スタイルだ。朝10時開始、昼休みを挟んで16時頃まで一日かかる。大まかな時間帯はあるものの、檀信徒がある程度揃った時点で法要が始まる。10時に法要が始まると、約一時間半くらい15分程の法要を何座も勤める。たまに、時間に遅れた檀信徒の為に時間待ちの休憩が入る事も多い。

檀信徒にとっては、短時間で塔婆ご回向が済むので、お墓がある方は、そのまま塔婆を持って墓参に行かれる。
法要の中で、導師が「灑水」(導師が塔婆に、枝のついた葉っぱを使って水をかける)という、儀式を行うのだが、これは本来導師のみが行う作法である。しかし、この近辺の寺院では、檀信徒に焼香時「灑水」をさせている事が多い。盂蘭盆の趣旨は、餓鬼供養である事を考えると、自分の先祖、親族のみを供養対象にしてしまう行いに見えてしまう。それと共に、檀信徒に供養の重要さをアピールする為のサービス的要素もあるように感じる。

同じ地域に在る寺でありながら、風習や慣習が取り入れられた様々な法要形態が存在する。

盂蘭盆法要手伝い

当山の盂蘭盆法要終了後、連日近隣寺院の盂蘭盆法要の手伝いがある。
一年に一度伺う寺も多く、一年前との変化に驚く事も多い。その中でも、今年はA寺の変化に驚いた。それは、明らかに塔婆の本数が激減していたのだ。A寺の檀家数は数百軒あると思われる。しかし、その多くが塔婆を申し込んでいないのではないだろうか。また、法要の最中、檀信徒の私語が酷く、法要の荘厳さが全く無いのだ。

寺の運営は、住職の手腕が発揮される場でもある。信仰とは無縁の住職の主義主張や思想を、檀信徒に押し付ける又は、押し付けられたと感じさす事は、後々良い結果に結びつかない事が多いように感じた。

ここに記した事は、あくまで私の主観によるものなので、事実とは違う事もあると思う。

墓終い?

最近、「墓終い」という言葉を耳にする。自分の代で先祖代々から受け継いだ墓をなくしてしまうという事だそうだ。
世情の変化から、墓を継承する事が不可能な場合が出て来た事は理解できる。最も大きな原因と考えられるのは「核家族化」だと思う。
核家族化になって、親子の同居が減り、老夫婦二人暮らし、独居老人の割合が増加している。私の住む地域でも「空き家」が増え、残された子供にとっては、自分が育った家でさえ「負の遺産」となってしまっている。
逝く方の親は、「子供に迷惑をかけたくない」という理由から、先祖代々の墓を処分する。そのニーズに、いち早く葬儀・石材・仏壇等の業者が答えはじめ「墓終い」という造語まで作り出し、商売として積極的に進めているのではないか。

継承者が居ても、墓を継承しない理由は何なのか?を考えてみたところ、おそらく「経済的理由」ではないかと思う。親はそれを知っているからこそ、「子供に迷惑をかけたくない」というのであろうと推測される。

立正大学の先輩上人が投稿された文章を抜粋させて頂いた。「過去たる死者は、私たちの未来でもあります。死者にとっての未来であるはずの現在の私たちは、同時に死者の過去でもあります。」「死者の志を継ぎ、絶やさぬ努力をするすることが生者勤めであり、その勤めを怠らぬかぎり、死者は生者と共に生き続ける。」

また「この土が浄土であるならば、この土に死者も生者もと共に生きている。死者も共に闘っていてくれる。」
「生者だけの世界と思うのは生者の放漫ではないか。死者と共に生きる世界だからこそ大事にしたい」
「死者生者を分かつことのない球体のような世界が立正安国のような気がします」

「墓終い」を考える前に「生者だけの世界と思うのは生者の放漫ではないか。死者と共に生きる世界だからこそ大事にしたい」
今一度考えて欲しい・・・

平成27年度盂蘭盆施餓鬼会法要厳修

8月16日午前11時より 当山盂蘭盆施餓鬼会法要を厳修致しました。
当日は、日曜日と重なった為多くの檀信徒の皆様にお参り頂き、ただでさえ手狭な本堂内に、人が溢れんばかりでした。

年に一度の盂蘭盆法要終えて、今年の法要の反省と来年への改善策を考えながら、今は、ほっとしているのが実感です。
ご出仕頂いた、お上人との話の中で「住職である導師は、本来法要に集中したいところだが、法要当日も雑務に追われてしまいますね。」まさに、その通りだと思った。準備作業に従事するのは、私と妻の二人であり、年々ミスが減らなければならないはずが、集中力の欠如からか?ミスが増えている。これはいかんと、改善策を試みるも、改善策が覚えきれなかった事によるミスが発生するありさま。この繰り返しを年々に続けている。

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お盆

今年もお盆を迎えます。昨今のお盆は、ご先祖、有縁無縁之諸霊をお迎えする事よりも、お盆休みという名の連休になってしまっている。終戦70年を迎え戦争の風化や、過去に起こった天災人災の風化が叫ばれている。忘れない事は、過去の反省と未来への決意の現れでは無いかと思いますね。お盆も、お盆という名の単なる連休にしてはならないですね。それには、ご先祖、有縁無縁之諸霊をお迎えし供養するカタチとこころを、後世に伝えていく事ではないかと思います?

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