BONZEブログ

"寺 仏教 日記 僧侶 日蓮宗"の記事一覧

怒っちゃいかん! のに怒ってしまった・・・

お寺から市営斎場までタクシーを予約した。出棺時間に間に合うように14時半出棺の15分前到着でお願いし予約は済んだと思ったのだったが、その直後、タクシー会社より電話があり「14時15分では間に合わないのでは?」という事だった。「到着が14時15分前後になるので間に合わないかもしれない」と引き続き訴えてくる。「ならば14時10分でもいいですよ」と答えたのだが、それでも尚、執拗に「到着後、直ぐにご乗車して頂けない場合はタクシーは戻ります」???? 「いやいや、出棺が14時半なんだから帰って貰っては困ります」から、話はどんどんとおかしな方向に進み出したので、間髪入れずに喝を入れ、責任者に電話を交替させたところ、通常通りの会話で14時15分に到着し待っていてくれるとの返事だった。メーターを倒して待つ訳なので何故帰る必要があるのか? 最初のオペーレーターの考えがわからない。

電話を切った後、冷静に考えてみた。
きっと、オペレーターは「寺から出棺する」という意味が理解出来ていなかったのだと思った。行き先を尋ねられ「市営斎場」と答えたところからオペーレーターの頭の中がコンガラガッタのだろう。14時30分に市営斎場から出棺。ならば寺に出棺15分前に到着しては目的地まで15分で到着する事は難しいと考えたに
違いない。そう考えれば執拗に「間に合わない」を連発しないだろう。

いやいやオペレーターさん、私が言いたいのは、寺を14時半に出発し、15時に市営斎場に霊柩車が到着すれば問題ない事なんです。それを、担当したオペーレーターが知らなかったのだろう。そう考えると、こんな所でも葬儀の形態に変化が出て来たという事だ。以前なら、自宅からご遺体を出棺する事が普通の光景であった。それに伴い遺族を市営斎場に送迎するタクシーの車列も当たり前だった。それが、最近は葬儀会館から出棺する事が多くなりマイクロバスやマイカーを使用するようになった事でタクシーの利用率が下がったのが原因かもしれない。そして、今回のような行き違いが生じたのであろう。

ここにも葬儀形態に変化が出ているのだと考えさせられた。

社会教化事業講習会

9月9日〜10日東京大田区池上にある日蓮宗宗務院で開催された社会教化事業講習会に参加しました。

日蓮宗を代表する6人の僧侶が、各々が実践されている社会教化事業の紹介並びに実践例を講習。日蓮宗僧侶の社会教化活動の意義に始まり、青少年教化活動、ビハーラ活動、国際協力活動、災害・危機管理実践活動と活動内容多岐に渡り、各々り僧侶の皆様の社会教化に対する考え方がとても勉強になった。

私は、一般の方と接する事が多く。私が僧侶と分かれば、ご自分の身の回りにいらっしゃる僧侶の話しを良く耳にする。その内容のほとんどが、お布施にかかわる事と僧侶の法要儀式のあり方等だ。それも良い話しはほとんど聞いた事は無く、悪い話しばかりだという所に世間の我々に対するそれが評価だと感じる。

「無関心ではいけない」「まず、自分の出来る事から実践してみる」我々僧侶に出来る社会教化活動は沢山ある。私は、「寺で葬儀を出そう・葬儀代金の適正化」を、もっか推進している。今回の講習で私が考え、実践している事も社会教化の一部になる事が分かり、これからも身の丈に応じた活動を実践して行くつもりだ。

画像は、(株)オフィスロータス経営「ロータス・カフェ」この移動カフェの経営は、日蓮宗僧侶のMさん。今回の講習会の講師もされていた。いろんなアプローチで社会教化活動が出来る新しい見本かもしれない。このカフェ、新宿にある日蓮宗寺院門前にて常設されていおり、東京23区なら、何処でも出張可能。特に寺院の行事の際に出向き、美味しい飲み物を寺側から壇信徒に振る舞う。飲み物料金は全て寺側が負担。

「生き残れるか仏教?」

今日、奈良県橿原市で開催された「第四十回 日蓮宗近畿教区教化研究会議」に参加した。

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研究会議は、午前の部 基調講演「生き残れるか仏教 ?(現代社会が求めるもの)」上田紀行氏(文化人類学者 東京工業大学大学院准教授)。午後の部 分散会+全体会議の二部構成。午前10時〜16時までと長丁場の研修会だった。

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「逆布教」「あんた達僧侶がいるから仏教は衰退するんだ」という言葉が、壇上の上田先生よりビシビシと発せられる。世間の人の9割は仏教に対して興味がある、しかし、こと僧侶に関しては1割の人からしか興味を持たれていないそうだ。確かにそうだと思う。我々、僧侶に対する世間のイメージは「坊主丸儲け」が大半であり、その信頼は地に落ちている。私自身、衣を脱ぎ、素の自分自身を世間にさらけ出して来た。衣を着けていなくても僧侶としての自覚を持ち続ける事が出来るものなのか? 衣を着けていない私と相対した人は僧侶と見てくれるのか? ?素の自分を信頼してもらう事が出来ないならば僧侶失格ではないのか? ?と未だ自問自答している。

当然の如く僧侶に対する批判は私にも浴びせられる事は多々あった。

寺を維持する事を主体とした宗教活動も大事ではあるが、世間と相対し公益性を持った宗教活動を展開して行く事が出来るのかが、今後の焦点となってくるだろう。近い将来にはお寺も自然淘汰されていく事になるそうだ。

葬儀って? VOL1

最近「家族葬」と呼ばれる家族と親戚だけで行われる葬儀が増えて来ました。

昨今、営まれる葬儀の8割くらいが家族葬になっている感も歪めません。以前、葬儀は自宅で出すものでありました。どんなにお家の規模が小さくても自宅で葬儀を出していました。それが、1990年代バブル時期に入ったあたりから葬儀社が急激に業務拡張を行い葬儀会館なるものが出来始めました。当時、葬儀の規模も大きく、会葬者の数も何百人規模でした。後にバブルが崩壊し経済が低迷。核家族化が進み、少子高齢化の時代となった現在では親の死を看取る事も出来ない事情を抱えた方達が増えて来ました。

リーマンショック後、経済は更に低迷し、葬儀は家族葬で行う事が一般的になりつつあります。それは、それで良いのではないかと思います。昔は、村や地域単位で皆が葬儀の手伝いをしていました。90年代で一旦おかしくなったものが、また原点に戻り始めているのかもしれません。

家族葬では、家族・親族と共に供養の心を持って葬儀に臨みやすい環境があります。家族葬にすれば費用面も出費を押さえられるはずなんですが、それがそうでもない現実があります。今や葬儀の大半が葬儀社所有の葬儀会館で営まれます。しかし、葬儀会館の大半はバブル期に建設されたもので、葬儀式場の規模が大きいものがほとんどです。そうしますと、その式場に見合う祭壇は決められている場合が大半で、それを選択するしか方法がありません。

「家族葬」にしたが、費用が高くついた。というのはこういう事情があるからではないか? と思います。

ブログ公開!!

皆様はじめまして、広宣寺・長谷川鳳秀(以下ホウシュウ)と申します。

この度、広宣寺オフィシャルブログ「Bonze blog」を開設致しました。
「Bonze(ボンズ)=僧侶」すなわち「坊さん日記」です。
日々、生きて行く中での喜怒哀楽等思いのままに綴れる日記と情報発信の場としたいと考えています。

どうぞよろしくお願い致します。