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秋季彼岸会法要のお知らせ

平成23年度秋季彼岸会法要を下記のとおり厳修致します。

日 平成23年9月25日(日曜日)
時 午前10時より
場 広宣寺本堂

彼岸の一週間は、六波羅蜜を行ずる仏道修行の期間です。

六波羅蜜
1 布施(ものをさしあげること。させてもらうこと。心に安らぎをあたえること。)

2 持戒(身を慎み、つねに反省すること)

3 忍辱(平静にして耐えしのび、いからない。怨まない。悪心をいだかないこと。)

4 精進(良い事をし、悪い事をしないようにいつも努力し続けること)

5 禅定(感情をしずめ、心を安定させること)

6 智恵(すべてのものを生かしている大いなる命を把握すること。前の五波羅蜜を成就することによって得られるこころの作用)

広宣寺が提案する葬儀

キックバック?

キックバックは、日本独特の商慣行である割り戻し制度で、「売上割戻」「仕入割戻」「リベート」とも呼ばれ、メーカーや卸売業者などが商品の売上高や取引高など一定の条件をクリアした流通業者(卸売店や小売店など)に対して支払う報酬(割戻金、報奨金、奨励金)のことをいう。

このキックバックですが、我々、僧侶側と葬儀社側で未だ行われているという実態。
日本国内の寺院数(77,572か寺)は、実はコンビニ(43,372)より多いという事をご存知ですか? 寺といっても千差万別です。誰でも寺院名を言えば知っている由緒寺院から、過疎化地域にあり住職が無住の寺(15,000か寺)までを含んだ数です。

布施収入のみで維持出来る寺もあれば、兼業をして寺を維持している場合もあります。昨今は、寺を持たず又は持てず。都会のマンションに住みながら葬儀社に営業をして回る僧侶や、寺の住職であるが寺を維持して行く為に営業に回る者も存在します。

葬儀社又は葬儀社社員が、この営業に来た僧侶を葬儀で使う見返りとして、喪主から頂いた「お布施」の何割かを僧侶からキックバックさせるのです。キックバックされる金額は、お布施の2割〜3割は当たり前です。葬儀社担当にキックバックされたお金は、世の中に存在しないカネとしてその担当社員(パート)のフトコロに入る訳です。

更に驚くべき事に葬儀社が、会社として僧侶からお布施の5割をキックバックさせるところもあります。これは、あらかじめ葬儀社側が喪主に対し葬儀布施の金額を伝えます。喪主は、その布施は僧侶から打診された金額と理解し、そのお布施を用意します。お布施は葬儀当日、喪主から僧侶に手渡された直後、葬儀社が5割の金額を回収するのです。
その葬儀社は、看板、チラシ等で低額な家族葬をうたっています。

ですから、葬儀社は吟味に吟味を重ねないといけない事と思います。しかし、未だ人々の中には「生きている間ら葬式の準備をするなんて縁起が悪い」と敬遠する方が多数います。この日本人独特の考え方が、このような悪循環を招く事になっています。喪主から頂戴した「お布施」が、よもやこんなカタチで使われてしまっているとは想像出来たでしようか?自分の最期を決めるのは自分です。こんなカタチで自分の最期を終わらせて良いのでしようか?

もし葬儀を出すという事を自分自身で決めているのなら、このような事態に遭遇しないように生きている間に、自分が世話になろうと思える寺又は僧侶を探し出しておく事が必要ではないでしようか?

盂蘭盆施餓鬼法要

平成23年度盂蘭盆施餓鬼法要を8月16日厳修致しました。

当日は、多くの檀信徒の皆様にお参り頂き共に法華経読誦、お題目をお唱えし有縁無縁四生六道法界萬霊に回向させて頂きました。

昨今の仏教離れ、寺離れは顕著ではありますが、まだまだ日本人の心にお盆という行事は忘れ去れてはいません。しかし、安堵している訳には行きません。今後、更に世代交替が進むにつれお盆は「お盆という名の長期休暇」の認識が益々加速し、本来持つお盆の意味が忘れ去られる時が来る事でしよう。
そうならないよう我々僧侶も更なる努力が必要です。また壇信徒の皆様もご家庭内で信仰の継承を宜しくお願い致します。

広宣寺が提案する葬儀
http://www.kousennji.jp/

HPリニューアル

以前のブログにてご紹介した「広宣寺が提案する葬儀」の詳細をアップ致しました。

寺が提案する葬儀形態がどのような反響をもたらすのか楽しみです。

広宣寺HP http://www.kousennji.jp/

合祀墓開眼法要

平成23年2月24日広宣寺墓地内に完成した合祀墓の開眼法要を厳修いたしました。

この合祀墓は、昨今の墓地事情を考え従来の家単位から個人単位で納骨を行うコンセプトです。

合祀の形式をとっている関係上、宗派に関係無くどなたでも納骨して頂けます。合祀墓の良い点は、納骨された方が無縁仏にならない。お墓の維持管理の必要が無い。お墓参りは何時でも可能です。

様々な事情から個人単位のお墓を考えられている方にお勧めします。


広宣寺合祀墓 永代納骨料(一霊位)50,000円
納骨後管理費不要。

大阪府三島管区研修会

平成22年2月22日高槻市交流センター会議室にて開催された「大阪府三島管区研修会」に参加した。当日は、管内僧侶並び寺庭婦人も数多く参加された。
今回のテーマは「自死遺族に対するグリーフケアについて」であった。講師は鷹見先生。自身も遺族の立場から広くグリーフケアについて講演を行い、自死遺族の気持を世間に伝えられている。

2時間半の講演は、あっという間だった。講師先生のお話しはとても理解しやすく且つ資料も分かりやすくまとめられていた。特に、講師先生も驚かれた宗務事務長S上人と布教師会長ST上人のお二人が製作された法話DVDが、とても理解しやすく勉強になった。この法話DVDは、講師先生が自身の体験並びに自死遺族の方達から聞いた僧侶の心ない法話を元に作られたものだ。講演の性質上「悪い法話」と「良い法話」と区別されていた。しかし、同じ立場でない身が聞くと「悪い法話」であっても、どこに使わない方が良いとされる表現が含まれているかわからない。でも、講師の講演を聞いた後だと、遺族に対して使わない方が良い表現が理解できるようになった。

講演後、ふりかえって考えてみた。自死遺族に限らず我々僧侶は全ての遺族に対し、今回学んだ事を活かせねばならない。と思った。
葬儀という一種独特な環境のもと物事をすすめて行く立場として心しておかねばならない。

四十九日と人間のバイオリズム(その四)

人が、「さぁ! やるぞ!」と物事を始めて四、五十日で「消耗現象」が起こる実例を前回のブログから紹介して来ました。

さて、そもそも四十九日とは何ぞや? ?である。

これは、近親者(親子、夫婦、子供)の死を経験した方は、理解できると思います。心の動き、心の安定が四十九日までと四十九日後では随分違いがあります。簡単に説明すると、近親者が亡くなった直後は、誰しも心が不安定になり軽いパニック症候群に陥る感じがします。その状況で通夜、葬儀を終え普段の生活に戻るわけですが、近親者は、ここで少しパニック症候群から脱して空虚感を感じる事もあります。以前は、これから二七日、三七日・・・と、四十九日まで七日ごとに僧侶を招き親族が集まって法要をしていました。

最近は、この七日ごとの法要は忘れ去られつつあります。しかし、近親者にとっては、心の安定を取り戻したわけではなく、四十九日が終わるまではなんとなく落ち着かない状態が続いています。心の不安定さを忘れる為に、葬儀等でお世話になった方への挨拶回りや香典返しの作業があるのかもしれません。ですが、最近は香典を受け取らない事が多々あります。まして家族葬と呼ばれる親族だけの葬儀も増え。葬儀後の忙しさも無くなりつつあります。

こうして本来あるべきものだった「喪の作業」も葬儀と同じく簡素化されて行く事により、人はカタチとしての「弔う」事をしなくりつつあります。よく世間では「気持ちがあれば」と云うのですが、カタチが無ければ気持ちも入らないと思うのは私だけでしようか?

「喪の作業」をしなくとも、四、五十日目で「消耗現象」は、訪れるでしよう。しかし、「喪の作業」を行っていたなら四十九日法要を勤める事で故人の成仏を願い、その先の世界に心静かに故人を見送る事が出来ます。かたや、「喪の作業」を行っていない場合、四十九日目に「消耗現象」が起こり、精神的安堵感につつまれる機会を逃し、ただただ疲れがだけが残る事になるのかもしれません。

人が本来備わっている「逆境に打ち勝つ、リセットする」バイオリズムと、葬儀や四十九日法要の関係性があるともいえますね。

怒っちゃいかん! のに怒ってしまった・・・

お寺から市営斎場までタクシーを予約した。出棺時間に間に合うように14時半出棺の15分前到着でお願いし予約は済んだと思ったのだったが、その直後、タクシー会社より電話があり「14時15分では間に合わないのでは?」という事だった。「到着が14時15分前後になるので間に合わないかもしれない」と引き続き訴えてくる。「ならば14時10分でもいいですよ」と答えたのだが、それでも尚、執拗に「到着後、直ぐにご乗車して頂けない場合はタクシーは戻ります」???? 「いやいや、出棺が14時半なんだから帰って貰っては困ります」から、話はどんどんとおかしな方向に進み出したので、間髪入れずに喝を入れ、責任者に電話を交替させたところ、通常通りの会話で14時15分に到着し待っていてくれるとの返事だった。メーターを倒して待つ訳なので何故帰る必要があるのか? 最初のオペーレーターの考えがわからない。

電話を切った後、冷静に考えてみた。
きっと、オペレーターは「寺から出棺する」という意味が理解出来ていなかったのだと思った。行き先を尋ねられ「市営斎場」と答えたところからオペーレーターの頭の中がコンガラガッタのだろう。14時30分に市営斎場から出棺。ならば寺に出棺15分前に到着しては目的地まで15分で到着する事は難しいと考えたに
違いない。そう考えれば執拗に「間に合わない」を連発しないだろう。

いやいやオペレーターさん、私が言いたいのは、寺を14時半に出発し、15時に市営斎場に霊柩車が到着すれば問題ない事なんです。それを、担当したオペーレーターが知らなかったのだろう。そう考えると、こんな所でも葬儀の形態に変化が出て来たという事だ。以前なら、自宅からご遺体を出棺する事が普通の光景であった。それに伴い遺族を市営斎場に送迎するタクシーの車列も当たり前だった。それが、最近は葬儀会館から出棺する事が多くなりマイクロバスやマイカーを使用するようになった事でタクシーの利用率が下がったのが原因かもしれない。そして、今回のような行き違いが生じたのであろう。

ここにも葬儀形態に変化が出ているのだと考えさせられた。

互助会って?

先輩住職のブログより全文抜粋。

あれほど威勢がよかった武富士(私の中では、いまだにサラ金という名前がぴったりする)が会社更生法の申請を行った。栄枯盛衰は世の流れ、きっとアコム、プロミスなどにも波及するだろうな。

 私は、サラ金よりも葬儀等で互助会組織と接触することが多い。具体的に言えば、セレマやベルコ、日本セレモニーなどだ。このような組織は、パンドラの箱と言われている。いつだれがその箱を開けるかだ。きっと開けると、残された資産はほんの僅かだろう。どう見ても自転車操業の感じがする。

 子どもの同級生のお母さんが、何年か前に離婚されて、葬儀会社に勤められた。その時は、周りは大変やな、頑張るなとの見方が大勢だった。ところが、葬儀会館での仕事もあるのだが、互助会の勧誘員がメインの仕事だったようだ。それから数年が経ち、彼女がキャッシュでマンションを購入したという話が流れてきた。それからというもの、「へ?、葬儀屋って儲かるんや」が、一緒にPTAをやっていた人々が陰で話すようになった。家内も、偶然会った時に、入会を勧められたと言ってパンフレットをもらってきた。まーまー、仕事熱心なことで。

 それ以上に気なる話がある。どのような経緯かは知らないが、セレマが主催する食事会(もちろん無料)に参加して、話を聞いて、月々たった2,500円だからと言って入会した人がいてる。なんでも、友人と一緒に、その食事会に行き、皆さん入会されたし、断るのも気の毒だからと入ったそうだ。本人は、それほど問題があるようには思っていない。確かに、その会社の葬儀会館は、あちらこちらにも有るし、葬儀もたくさん行われている。要するに目に触れる場所にポピュラーに存在する。そういうものに反感の目を向けることは、普通は難しい。

 入会から暫くして、セレマの営業さんから靴の割引券をもらったということで、また仲間と一緒に行かれたそうだ。そうすれば、靴を買うためには、まず病院へ行ってくれということで、近所の病院へ行き足のレントゲンを撮って採寸して帰ったそうだ。診療費は保険もきくし二千円ほどで済むらしい。それで、靴は割引どころか無料だと聞かされたようだ。来週仮縫いに行くと話されているようだ。

 しかし、どう考えても、普通の靴を作るのに、足のレントゲンは不要だろう。保険がきくということは、支払った金額の3倍強の診察費ということになるな。靴はタダだと聞かされているようだが、採寸した靴は、オーダーメードだから、仮縫いを済ませれば、他へ回せない。普通の靴はタダだけどこれは有料だと言われても買い取るしかない。多分、用意周到に事を運んでいるだろうから、契約書のどこかに、何らかの文言が入っていると思う。

 近年、派手な葬儀が無くなり、一軒当たりの単価が下落している現状では、そこからの収益は、昔のように望めない。それでも、勧誘員への報酬は支払う必要がある。葬儀で儲かった時代には、そんな報酬は微々たるものに思えただろうが、今じゃそうとも言えない。手を変え品を変え、儲け口をマルチに増やしておかなければ会社の存続が危ない。だんだん危険な方向へ進んでいるように思える。パンドラの箱が開かれるのも、そう遠くではないような気がする。

後日、「靴の割引券」の件と互助会とは無関係と判明。

結局、互助会営業が入会した人間に違う商品やら保険を個人的に勧誘しているようだ。まさに個人マルチ商法とも言うべきか。

カタチ(その1)

「これで良かったのか?・・・」法要後、そう語った亡夫の奥様。故人の意志で献体をされた事で葬儀も行わず、お骨も無いという事でした。お盆を前に、多くの事を考えられたのでしよう。娘さんがインターネットで、当山を検索され供養の依頼がありました。当日はお孫さんを含む4人が参列され、法要を厳修致しました。

法要終了後、法華経読誦、お題目の声が故人に届いたのでしよう。奥様、娘さんは涙されていました。最後に「細く長く節目、節目で供養をしてあげて下さい。」とお話させて頂きました。