BONZEブログ

"日々のこと"の記事一覧

盂蘭盆法要手伝い

当山の盂蘭盆法要終了後、連日近隣寺院の盂蘭盆法要の手伝いがある。
一年に一度伺う寺も多く、一年前との変化に驚く事も多い。その中でも、今年はA寺の変化に驚いた。それは、明らかに塔婆の本数が激減していたのだ。A寺の檀家数は数百軒あると思われる。しかし、その多くが塔婆を申し込んでいないのではないだろうか。また、法要の最中、檀信徒の私語が酷く、法要の荘厳さが全く無いのだ。

寺の運営は、住職の手腕が発揮される場でもある。信仰とは無縁の住職の主義主張や思想を、檀信徒に押し付ける又は、押し付けられたと感じさす事は、後々良い結果に結びつかない事が多いように感じた。

ここに記した事は、あくまで私の主観によるものなので、事実とは違う事もあると思う。

墓終い?

最近、「墓終い」という言葉を耳にする。自分の代で先祖代々から受け継いだ墓をなくしてしまうという事だそうだ。
世情の変化から、墓を継承する事が不可能な場合が出て来た事は理解できる。最も大きな原因と考えられるのは「核家族化」だと思う。
核家族化になって、親子の同居が減り、老夫婦二人暮らし、独居老人の割合が増加している。私の住む地域でも「空き家」が増え、残された子供にとっては、自分が育った家でさえ「負の遺産」となってしまっている。
逝く方の親は、「子供に迷惑をかけたくない」という理由から、先祖代々の墓を処分する。そのニーズに、いち早く葬儀・石材・仏壇等の業者が答えはじめ「墓終い」という造語まで作り出し、商売として積極的に進めているのではないか。

継承者が居ても、墓を継承しない理由は何なのか?を考えてみたところ、おそらく「経済的理由」ではないかと思う。親はそれを知っているからこそ、「子供に迷惑をかけたくない」というのであろうと推測される。

立正大学の先輩上人が投稿された文章を抜粋させて頂いた。「過去たる死者は、私たちの未来でもあります。死者にとっての未来であるはずの現在の私たちは、同時に死者の過去でもあります。」「死者の志を継ぎ、絶やさぬ努力をするすることが生者勤めであり、その勤めを怠らぬかぎり、死者は生者と共に生き続ける。」

また「この土が浄土であるならば、この土に死者も生者もと共に生きている。死者も共に闘っていてくれる。」
「生者だけの世界と思うのは生者の放漫ではないか。死者と共に生きる世界だからこそ大事にしたい」
「死者生者を分かつことのない球体のような世界が立正安国のような気がします」

「墓終い」を考える前に「生者だけの世界と思うのは生者の放漫ではないか。死者と共に生きる世界だからこそ大事にしたい」
今一度考えて欲しい・・・

平成27年度盂蘭盆施餓鬼会法要厳修

8月16日午前11時より 当山盂蘭盆施餓鬼会法要を厳修致しました。
当日は、日曜日と重なった為多くの檀信徒の皆様にお参り頂き、ただでさえ手狭な本堂内に、人が溢れんばかりでした。

年に一度の盂蘭盆法要終えて、今年の法要の反省と来年への改善策を考えながら、今は、ほっとしているのが実感です。
ご出仕頂いた、お上人との話の中で「住職である導師は、本来法要に集中したいところだが、法要当日も雑務に追われてしまいますね。」まさに、その通りだと思った。準備作業に従事するのは、私と妻の二人であり、年々ミスが減らなければならないはずが、集中力の欠如からか?ミスが増えている。これはいかんと、改善策を試みるも、改善策が覚えきれなかった事によるミスが発生するありさま。この繰り返しを年々に続けている。

DSC_1499

お盆

今年もお盆を迎えます。昨今のお盆は、ご先祖、有縁無縁之諸霊をお迎えする事よりも、お盆休みという名の連休になってしまっている。終戦70年を迎え戦争の風化や、過去に起こった天災人災の風化が叫ばれている。忘れない事は、過去の反省と未来への決意の現れでは無いかと思いますね。お盆も、お盆という名の単なる連休にしてはならないですね。それには、ご先祖、有縁無縁之諸霊をお迎えし供養するカタチとこころを、後世に伝えていく事ではないかと思います?

DSC_1486

眼鏡を新調しました

3月に白内障の手術をし、術後視力が安定するまで3か月を擁しました。6月に入りようやく視力が安定した事で何時もお世話になっております、タテヤマ眼鏡店さんでメガネを新調しました。

壽晃院日徳上人 身延山教師廟納骨

6月3日身延山教師廟へ、壽晃院日徳上人の遺骨を分骨しました。明日のご命日、当山に於て一周忌法要を厳修します。私としてはこれで少し安心しました。生前、叔母の日徳上人は独りで暮らしており、全てを独りで決断し実行しなければなりませんでした。遷化後、後の事に関して道筋を建てていてくれていたおかげで、スムーズに物事が進みました。独りで人生を全うする為には、どうすれば良いのか?日徳上人から学ぶ事が出来ました。

決して、死んだら終わりではありません。
子供に迷惑をかけたくないと思うなら、自分が亡くなった後の事まで子供に伝えておいてあげて下さいね。

日蓮大聖人御廟所
日蓮大聖人御廟所
日徳上人納骨法要
日徳上人納骨法要

春季彼岸会

明日3月22日午前10時より 当山春季彼岸会法要を厳修致します。

「暑さ寒さも彼岸まで」ここ一週間寒暖差が激しい毎日です。体調を崩しやすい時期でもありますのでご注意ください。

さて、核家族化がもたらした仏事の変化は益々大きくなっている出来事があった。
先日、当山に墓地に墓がある他寺院檀家から百か日法要並び納骨依頼がありました。法要日程、墓石への追加彫刻等の打ち合わせを行い、最後に間違いがあってはいけないので墓石彫刻に必要な項目をfaxにて送ってもらいました。その送り状の最後の文面に「○月○日の法用よろしくお願いします」とあり、文面を読みながら法用・・・ですか? と、ひとり呟いてしまった。
施主と会った事はないが、電話の声では年の頃70歳代。電話で話していても仏事に関して知識は無さそうではあったが、「法要を法用」と書いて来た人ははじめてだ。今まで、一周忌を一回忌だとか、三回忌を二周忌だとか言った人は多い。これは全て若い方では無く70歳代の方達である。昔は、「若い者は何も知らないから」「若いから非常識」という時代だったが、今の若い方達は、知らない事はインターネットで調べるので間違った事は言わない。逆にネットが出来ない世代は思い込みも多く、他人に尋ねる事をしないので間違いが多い。現在、この世代の人口が多く、この年代の方達が、仏事をしない、葬儀をしない事が多いのも頷ける出来事だった。

授戒式の準備

来る3月31日当山にて授戒式を執り行うにあたり、諸々の準備を進行中です。この授戒式は、先代住職から逆修(日蓮宗では、戒名を法号といいます)すなわち、法号を授与された檀家の皆様に、その法号を授戒して頂く為の式です。逆修法号を受けるという事は、死んで行く際の名前を貰うという訳ではなく、今以上に法華経に帰依し、受持、読誦し、法華経を広め功徳を積む決意を現す事です。

寺葬儀式

広宣寺葬祭部設立を発表した途端、同門の皆さんから反響があり、話を聴きたいというお上人方が連日当山を訪問されています。もしかしたら、これからの葬祭のあり方になる予感です。
一歩進んだ広宣寺にご期待下さい!

広宣寺葬祭部設立

この度、檀信徒の皆様に菩提寺での「寺葬儀式」(小規模葬儀式)を勧めて行くにあたり当山に広宣寺葬祭部を設立しました。
これは、十数年前から考えていた事で、「寺葬儀」に於いて僧侶が葬儀式を司る事が出来なければならないという事です。ですが、最終的に「寺葬儀」をするにあたって超えられないハードルでもありました。具体的にあげれば、寝台車手配、ご遺体の搬送、安置、(枕経)、納棺、葬儀日程調整、(役僧依頼)、火葬場予約、霊柩車手配、本堂内祭壇設置指示、送迎バス手配、通夜、葬儀時食事手配、(通夜式導師、葬儀式導師)、収骨立会い等を全て行わねばなりません。しかし、現実はカッコにて囲んだ事が僧侶のなすべき事となっていると思います。私は、カッコで囲んだ以外の上記の内容を、知人から2年前に紹介された博益社峯石社長の指導のもと、これまでに行った檀家の寺葬儀時に実習して来ました。今では、人手と車両が必要な部分は博益社さんにサポート頂き、ほぼ全ての事が出来るようになり、これを機に博益社さんが広宣寺葬祭部実働部隊となり、前面に私が出て指揮が取れるようになりました。これにより、喪主、遺族と相対する時間が今までに以上多く取れ、また会話の内容も濃密となります。その場で喪主からの相談を受ける事も出来、寺と喪主、遺族の関係性が深まる事は経験上間違いありません。
菩提寺の住職が葬儀式の全てを司どる「寺葬儀式」。この「寺葬儀式」の考えに賛同される同士が、いらっしゃるようであれば共に各自坊檀信徒に勧めて行こうではありませんか。