慌ただしかった
先週、檀家さんがお亡くなりました。現役を引退されて間もない60代だった。お孫さんも出来、奥様と共にこれから第二の人世という矢先だっただけに残念であった。合掌
葬儀を通して、自分の死を見つめる。
どのように臨終を迎えるのか?
そろそろ、考える年齢になった。
葬儀、月施餓鬼、法事、お参り、研修会、東日本大震災一周忌法要と慌ただしい先週末だった。今日は、早朝にお参りを終えて少しゆっくり出来そうだ。
先週、檀家さんがお亡くなりました。現役を引退されて間もない60代だった。お孫さんも出来、奥様と共にこれから第二の人世という矢先だっただけに残念であった。合掌
葬儀を通して、自分の死を見つめる。
どのように臨終を迎えるのか?
そろそろ、考える年齢になった。
葬儀、月施餓鬼、法事、お参り、研修会、東日本大震災一周忌法要と慌ただしい先週末だった。今日は、早朝にお参りを終えて少しゆっくり出来そうだ。
朝から、雪が降りだし、気温が低い一日でした。節分が過ぎ立春を迎えましたが、本格的に暖かくなるのは彼岸の頃なんでしようね。
昨日午後、近隣寺院住職の荒行成満帰山式準備。終了後、久しぶりに高校の同級生が経営するパブレストランで食事をし帰宅した。
今週末は、祈祷会のお手伝いに茨城へ行きます。
檀家さんの葬儀を、市内にある大手葬儀社セ○○会館で行った。
この葬儀会館は、正面玄関を入った所に喫茶室兼休憩所がある。今回の葬儀は一階だったので通夜、葬儀時共に騒がしく厳粛な雰囲気を保つ事が極めて難しい。葬儀は、お亡くなりになったら、直ぐに出さないと、いけないもの。と思われている方が多いのですが、法律で24時間以内は火葬出来ませんが、それ以降であれば、数日後に葬儀を出しても問題はありません。以前は、葬儀委員長という役の他人が仕切ってくれたので、葬儀社との交渉等全てまかせる事が出来ました。今は、それも無くなり、家族が大変な中、全てを執り行わなければなりません。
やはり、自分の最期は、自分で考え後に残る親族に託すことが大事な事だと思います。
しっかり考えよう! 自分の最期の送り方。
キックバックは、日本独特の商慣行である割り戻し制度で、「売上割戻」「仕入割戻」「リベート」とも呼ばれ、メーカーや卸売業者などが商品の売上高や取引高など一定の条件をクリアした流通業者(卸売店や小売店など)に対して支払う報酬(割戻金、報奨金、奨励金)のことをいう。
このキックバックですが、我々、僧侶側と葬儀社側で未だ行われているという実態。
日本国内の寺院数(77,572か寺)は、実はコンビニ(43,372)より多いという事をご存知ですか? 寺といっても千差万別です。誰でも寺院名を言えば知っている由緒寺院から、過疎化地域にあり住職が無住の寺(15,000か寺)までを含んだ数です。
布施収入のみで維持出来る寺もあれば、兼業をして寺を維持している場合もあります。昨今は、寺を持たず又は持てず。都会のマンションに住みながら葬儀社に営業をして回る僧侶や、寺の住職であるが寺を維持して行く為に営業に回る者も存在します。
葬儀社又は葬儀社社員が、この営業に来た僧侶を葬儀で使う見返りとして、喪主から頂いた「お布施」の何割かを僧侶からキックバックさせるのです。キックバックされる金額は、お布施の2割〜3割は当たり前です。葬儀社担当にキックバックされたお金は、世の中に存在しないカネとしてその担当社員(パート)のフトコロに入る訳です。
更に驚くべき事に葬儀社が、会社として僧侶からお布施の5割をキックバックさせるところもあります。これは、あらかじめ葬儀社側が喪主に対し葬儀布施の金額を伝えます。喪主は、その布施は僧侶から打診された金額と理解し、そのお布施を用意します。お布施は葬儀当日、喪主から僧侶に手渡された直後、葬儀社が5割の金額を回収するのです。
その葬儀社は、看板、チラシ等で低額な家族葬をうたっています。
ですから、葬儀社は吟味に吟味を重ねないといけない事と思います。しかし、未だ人々の中には「生きている間ら葬式の準備をするなんて縁起が悪い」と敬遠する方が多数います。この日本人独特の考え方が、このような悪循環を招く事になっています。喪主から頂戴した「お布施」が、よもやこんなカタチで使われてしまっているとは想像出来たでしようか?自分の最期を決めるのは自分です。こんなカタチで自分の最期を終わらせて良いのでしようか?
もし葬儀を出すという事を自分自身で決めているのなら、このような事態に遭遇しないように生きている間に、自分が世話になろうと思える寺又は僧侶を探し出しておく事が必要ではないでしようか?
以前のブログにてご紹介した「広宣寺が提案する葬儀」の詳細をアップ致しました。
寺が提案する葬儀形態がどのような反響をもたらすのか楽しみです。
人が、「さぁ! やるぞ!」と物事を始めて四、五十日で「消耗現象」が起こる実例を前回のブログから紹介して来ました。
さて、そもそも四十九日とは何ぞや? ?である。
これは、近親者(親子、夫婦、子供)の死を経験した方は、理解できると思います。心の動き、心の安定が四十九日までと四十九日後では随分違いがあります。簡単に説明すると、近親者が亡くなった直後は、誰しも心が不安定になり軽いパニック症候群に陥る感じがします。その状況で通夜、葬儀を終え普段の生活に戻るわけですが、近親者は、ここで少しパニック症候群から脱して空虚感を感じる事もあります。以前は、これから二七日、三七日・・・と、四十九日まで七日ごとに僧侶を招き親族が集まって法要をしていました。
最近は、この七日ごとの法要は忘れ去られつつあります。しかし、近親者にとっては、心の安定を取り戻したわけではなく、四十九日が終わるまではなんとなく落ち着かない状態が続いています。心の不安定さを忘れる為に、葬儀等でお世話になった方への挨拶回りや香典返しの作業があるのかもしれません。ですが、最近は香典を受け取らない事が多々あります。まして家族葬と呼ばれる親族だけの葬儀も増え。葬儀後の忙しさも無くなりつつあります。
こうして本来あるべきものだった「喪の作業」も葬儀と同じく簡素化されて行く事により、人はカタチとしての「弔う」事をしなくりつつあります。よく世間では「気持ちがあれば」と云うのですが、カタチが無ければ気持ちも入らないと思うのは私だけでしようか?
「喪の作業」をしなくとも、四、五十日目で「消耗現象」は、訪れるでしよう。しかし、「喪の作業」を行っていたなら四十九日法要を勤める事で故人の成仏を願い、その先の世界に心静かに故人を見送る事が出来ます。かたや、「喪の作業」を行っていない場合、四十九日目に「消耗現象」が起こり、精神的安堵感につつまれる機会を逃し、ただただ疲れがだけが残る事になるのかもしれません。
人が本来備わっている「逆境に打ち勝つ、リセットする」バイオリズムと、葬儀や四十九日法要の関係性があるともいえますね。
先輩住職のブログから全文抜粋
互助会の勧誘員さんが持ち込んできた靴の話を書いたが、それについても、断るために連絡をしたところ、解約料が必要だと告げられたと話されていた。
靴を作る時に、診察が必要ということで、2,000円の診察料が必要だったことを、まず思い出す必要がある。解約には、20,000円が必要ということだ。2万円とられるならば、もらっておこうと思う人の方が多いだろうが、彼女は断ることに決めたと話していた。どうも、この靴とは、先の金額から考えて1割負担の介護保険を利用しているような感じだ。要するに足の悪い人が公的な保険を利用して、自分に合った靴を作ってもらうための制度のようだ。健常人がこれを利用するということは、保険の悪用ではないだろうか。勧誘員さんが、「いい加減なものではありません。国のちゃんとした制度です」と述べていたことを思い出してそう思ったということだ。制度は「ちゃんとした」ものか知らないけど、利用は「ちゃんとした」ものではないだろう。おそらく、その病院もグルに違いない。コンタクトレンズ店お抱えの眼科のようなものに違いない。
勧誘員さんに、靴を断りたいと言ったところ、「皆さん喜んでもらえていますのに、残念です」と、先方の方が未練たっぷりのようだ。多くの人が喜んでいるかどうか分からないが、ズルをして利益を得ようとする姿勢は、決していものではないだろう。娘さんの断りの判断は正しいと思う。
結局のところ、このような制度の悪用や法の目をかいくぐることを「よし」とする人が、勧誘員をやっているということだ。人にいいものを勧めるというよりも、その利益にぶら下がって、その制度を食い潰している姿勢が見えてくる。
ホウシュウ・(勧誘員は、互助会加入以外で物品等の勧誘をする手口。ニュースで高齢者の方が騙される報道がなされているが、金銭的に多額では無い事から別段、誰も騙された。という感覚が無いのだと思う。また、気づかづに制度を悪用している事に加担している事になっているとは驚いた)